悲しみがなくなるということは
ようこそ、いらっしゃいませ。
今回は、前回記事の「ヒペリカム」の花言葉
「悲しみは長く続かない」を受けての
私が思ったことを記しますよ。
湿っぽい話になりますが
よろしければお付き合いを・・・
そうか、悲しみはしばらくたてば薄まっていくものかもね
ダンナが亡くなって半年以上経つわけなんですが
それでもいまだに闘病中のあれやこれやが思い出され
目頭が熱くなったりする日々は続いておりまして・・・
でも、この悲しみがなくなるということは
ダンナのことを
いとおしく思い出すこともなくなってしまうのだろうか?
・・・正直言いまして私とダンナ、病気が発覚するまで
それほど仲がいい夫婦というわけではありませんでしたよ。
(かと言って仲が悪いわけではないですが)
彼は私を「家で家事をやってくれればいい人間」
くらいにしか見ていないんじゃないか
「私」という人間にあまり興味がなく
自分の趣味や自分の友人を優先させる人なのだな
と
不満タラタラだったこと、
このブログでも何度か記事にしておりましたよ
でもですね・・・
病中の期間、特に亡くなるまでの3週間ほどの期間
この家で、24時間二人で過ごした闘病と介護の日々は
30数年の、うっすい繋がりを巻き返すかのように
濃厚で壮絶な夫婦の時間を過ごしたなと思うんですよね・・・
なのでいま悲しみと共に思い出すのがその時の3週間の出来事で
その3週間が本当にしんどくてむごくてつらいものだったけど
それでも自分にとってダンナとの宝のような大事な思い出で
けど、時間が経てば悲しみがなくなるということは
その時のいとおしい思いも忘れていってしまうのかなと・・・
どうなっていくのかな
わかりませんが、ふとそんなことを思ったので記してみましたよ
お読みくださりありがとう。
それでは、また。
・・・とシメようとしたのですが
やっぱ、湿っぽい話ばっかではなんなので
この間植えたヒペリカムの種の話を
それは、ヒペリカムの実10粒ほどから種を取り出すとこから始まり・・・
・・・あんなに蒔いたのに一粒たりとも芽がでないとは!
いや、でもまだ寒いからか・・・?
もうしばらく様子を見てみます・・・
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