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2011年6月

2011年6月 1日 (水)

はじめに。

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はじめまして。

私は子供の頃からずっと疑問に思っていたことがありました。

「何故自分はこんななのだろう?」

私は幼稚園の頃から、小学校・中学・高校・短大と
学校の中で人と話したことが、ほとんどありませんでした。

しゃべらないのではなく、しゃべれない。
そのことが悩みの中心でした。

「場面緘黙(かんもく)」という症状があると本で知ったのは二十歳くらいの頃
だったと思います。

「そうか!自分はこれなのだ!」

けれども、その項目は書いてあることがとても少なく
”大人になるにしたがって、症状も緩和される”
くらいにしか書かれてなかったと記憶しています。

それから更に20数年経つ最近まで

「どうして自分はこうなのか・・・」

子供の頃からの悩みがやはり頭にある中で悶々と生きてきました。


しかしこの頃、少し自分の中で考え方が前向きになってきまして
思いだすのも嫌だった昔の自分を
振り返って、見つめ直して、向き合うことで
過去を受け入れて、先の人生をしっかり歩んでいけないか?と
考えるようになりました。

思い出すまま、思いつくままに、時を前後させて綴っていきます。


他のブログもやっていますが
ここでは、とりあえずHNは「かんもく主婦」でいきたいと思います。

暗い内容になりますが、よろしければどうぞお気軽にお寄りください。
同じ場面緘黙で悩む方々、主婦になっても、親になっても
緘黙で悩み続ける方々、そして緘黙のお子さんをお持ちの親御さんに
何か感じてもらえればうれしいかなと思います。

2011年6月 2日 (木)

どうして?

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小学校の頃。

たまにクラスの子に声をかけられて言われることには

「どうしてそんなに大人しいの?」
「なんで、何もしゃべらないの?」


先生からも言われます。

「自分からみんなの中に入っていかないと、お友達はできないよ」

言われても私はやはりだんまりです。
ひきつり笑いぐらいはしたかもしれませんが。

何故大人しいのか?しゃべらないのか?

そんなことは、自分が一番知りたいのです。


私は学校以外での自分を知っています。
学校が終わると、家の近くの公園に遊びに行きます。
そこには、教室での私を知らない、年上の子、年下の子達がいます。
教室では何もしゃべらない、机に座ったままほとんど動かない私でも
そこでは、元気に走り回ります。
ちゃんと、しゃべったり、笑ったり、大声を出したりできます。
男の子・女の子、色んな年の子たちに混ざって
ドッチボールで楽しく遊ぶこともちゃんとできていました。
なわとびもゴムとびも、ソフトボールも、
女の子同士の他愛ないおしゃべりも
ちゃんと、ふつうに楽しくできていたのです。


なのに、学校へ行くと・・・教室に入ると・・・

何故か大人しくなる。
何故かしゃべれなくなる。
何故か体が固く動きにくくなる。

なんで?なんで?なんで?
どうして?どうして?どうして?


普通にしゃべりたいのに。
本当は自分はこんなじゃないのに。

まるで体全体に鍵がかかっているみたい。

学校での自分を
一番不思議がって
一番疑問に思って
一番嫌悪を感じているのは
当の本人なのです。

2011年6月 3日 (金)

ねんど遊び(1)

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私は幼稚園に一年通いました。
年長さんからの入園で、これが集団生活のはじめです。
このころからすでに、場面緘黙の症状があったかと思います。

一番覚えているのは

「ねんど遊びができなかったこと」

教室の中で、「今日はこれからねんどで遊びましょう」と
先生に言われると、凍りついてしまって。
みんなは自分のロッカーにねんどを取りに行くのですが
私は行けず、みんなが楽しく机でねんど遊びをしているのを
すわってじっとしたまま終わるまで下を向いていました。

私はねんど遊びが本当はとても好きだったのですが・・・。

家にもありましたので、教室でできなかった分
それで一生懸命遊びました。
ケーキや食器なんかを自分で言うのもなんですが
けっこううまく作って

「ほんとは自分はちゃんとできるのに。
教室でみんなといっしょにあそびたいのに。」


と思っていました。


それでは何故、幼稚園ではできなかったかといえば

「ねんどケースがなかったから」

はじめの頃、みんながもらえた「ねんど」と「ねんどケース」。
何故だか私だけ「ケース」がありませんでした。
私はその時先生に、なんとか声を出し

「ケースがありません・・・」

と言った覚えがあるのですが、何と言われたのかは覚えていません。
ただ、ちゃんと言ったのだから
先生はきっと私に持ってきてくれるはずだと思っていました。
なのではじめは、そのままケースなしで遊んでいました。
けれども、くちゃくちゃになったねんどをしまうケースがなく
そのまま、ねんどを はさみやのりなども入れてある「おどうぐばこ」に
入れてしまい・・・

次に遊ぶときには、そこからねんどだけを取り出すのが恥かしく
みんなと違って自分だけケースがないのが恥かしく
それを人に指摘されるかもしれないと思うと恥かしく・・・

私はねんど遊びができない子になっていました。

私は切実に、先生が私にケースをくれるのを待っていたのですが
いつまでたってもそうなることはなく
そのうち、ねんど遊びの時にいつも黙って下を向いている私に
先生が厳しい目をむけるようになっていました。

2011年6月 4日 (土)

ねんど遊び(2)

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「どうして、あなたはいつもやらないの!?」

いつものように、ねんど遊びをみんながやっている最中
ひとりだけうつむいてじっとしている私に先生が言います。

”先生!私、ねんどケースがありません!”

そう言いたいのですが、・・・しゃべれません。
みんなが私に注目しているのでなおさら・・・でしょうか。
教室の前の、先生の机のほうに連れられ
先生が机に座り、私はそばに立たされ

「なんでやらないのか、ちゃんと言いなさい。」

厳しい目を向けられて聞かれます。
しかし私は・・・しゃべれません。

”私はねんどケースがないので恥かしいんです。
先生が持ってきてくれるのを待ってるんです。
私はちゃんと言ったのに、なんで先生はくれないの?”


心では思っているのですが、
先生に言ってわかってもらおうとすることができません。

ずっとだんまりです。

”でも、ひょっとして先生はケースがないことをちゃんと
知っているのかも。ちゅうもんしているのがまだこないのかな?
ケースがないだけで ねんど遊びをしないなんてこと
あるわけないと思っているのかな?
そんなことだけでしないのは、おかしいことなのかな?
じゃあケースがないからって言ったら、
「そんなことぐらいで!」っておこられちゃうのかな?”


・・・ここまで明確に考えていたわけではないでしょうが

「ひょっとして、自分がおかしいのかも」

とは、なんとなく感じていたように思います。

だんまりのままでいると、時間がきて
先生はため息をついて

「今度からはやりなさいよ」

と、私を解放しました。

2011年6月 5日 (日)

ねんど遊び(3)

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数日後、それでもやはり私がねんど遊びをやらずにじっとしていたので
とうとう先生の堪忍袋の緒が切れました。
私は罰をうけることになりました。
当時、悪いことをした子のおしおきは

「別の教室に連れて行き、さらしものにする」

というものでした。

「この子は、まったく言うことを聞かない子なので
ちょっとこちらの教室で預かってください!」

と、よその教室に入れられ、前に座らされ、
ほかの園児たちに嘲笑の目を向けられます。
私は、別の子が以前この罰を受けているのを見たことがあり
いやがる子をひきずるように先生が隣の教室に連れて行ったり
また、逆に連れて来られて、わんわん泣いている子を見ると
「ぜったいにああいうことはされたくないな」と思っていました。
でも、それだけ悪いことをその子たちはしたのだろうし
自分は悪いいたずらとかしないので、
そんなことにはならないだろうと思っていました。

しかし、そのまさかのことを私はされることになったのです。
先生は私の手を掴んで隣の教室に連れて行こうとひっぱります。
私はふんばって(たぶん泣いて)抵抗するのですが

「そんなにいやなら、なぜ言うことをきかないの!」

と、叱りながら私の手をぎゅうぎゅうひっぱります。
いくら私が抵抗しても、5・6歳の女児が
大人の女性の力に勝てるわけもなく
私は隣の教室に連れて行かれました。

「せんせい、なんでこのこ ないてるの?」
「へんな こ」

私は顔をあげられず、ただ泣いていたと思います。

なんだか自分ひとりだけ、大きな輪からはずされたような
ひとりだけ、なにかがちがうような・・・
じぶんはだめな・・・先生にきらわれるような子なんだと
漠然と、そんなことを感じていたような・・・

2011年6月 6日 (月)

ねんど遊び(4)

あの罰をうけたあと、数日後またねんど遊びがありました。
もし、それでもまだ私がねんど遊びをしなければ
先生は今度はもっと怒って、もっとひどい罰を私に与えるかも・・・

私はほんとに・・・本当に思い切って先生のところへ行って

「ねんどケースがありません・・・」

と、やっとの思いで言いました。

先生がそのときどんな顔をされていたかわかりませんが

「それを早く言いなさい」

とだけ言って、戸棚から誰かのお下がりのような
みんなとは違う色・大きさのケースを
私に渡してくださいました。

先生は、はじめに私の言ったことを
忘れていたのか
はじめから、聞こえていなかったのか・・・

とにかく、ずっとかかえていた問題が解決できて
私はほっとしました。
ほかの子たちと違う、お古のねんどケースということに
ひっかかりはありましたが、それでもこれでみんなと同じに
ねんど遊びをするようになりました。

でも、私自身でもわからない、先生にも理解できない
私の抱えている根本的な問題が
解決することはありませんでした。



その時の幼稚園の先生は
私がとても強情でワガママな子に見えたのでしょうか
先生のいうことを聞かないナマイキな子に見えたでしょうか
それとも、何もしゃべらないということで先生をイライラさせて
しまったのでしょうか
わからないけれど、
私は先生には好かれる子供ではなかったのですね
私は先生の顔はぼんやりと覚えているけれど
怒った顔しか思いだすことができないのです。

あの時、自分はどうされたかったのかな
笑顔を向けてくれて、”どうしたの?大丈夫だよ”と言ってもらえたら
だいぶ心は軽くなったでしょうか・・・。

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2011年6月 7日 (火)

それでもわたしはがっこうにいった。

幼稚園から短大まで、
私は学校というものが、楽しいと感じた時期は一度もありませんでした。
授業を受けるのが苦痛だとかいうことはなく、
むしろ、学校が「机に座って授業だけ受ける場」であれば私は楽なのです。
が、私には学校のそのほかの時間・・・休憩時間や給食の時間、
理科の実験や調理実習、運動会やら遠足等・・・
机に座って授業を受ける以外の学校の活動が苦痛で仕方がないのです。
とにかく学校では自分は、口も体も固まってしまって、
本来の自分自身でなくなってしまうので、
そのような、「本来、みんなと楽しく行動する状況」が
やりたくてもできなくて
とにかく皆のなかで、ひとりだけぽつんとじっとしているほかない状況が
憂鬱で、苦痛で、
「自分は変なのでは?おかしいのでは?」
という悩みで頭はいっぱいで
いつも胸から喉あたりが重苦しいような感じでたまりませんでした。
学校が・・・というか、学校での自分がというか とにかく毎日
嫌で嫌で仕方がないのですが、
それでも私は、これが原因で「学校を休む」ということはありませんでした。

私が子供の頃は、「不登校」ではなく「登校拒否」といわれていたのかな
・・・いや、その言葉すらあまり聞かなかったような・・・
この頃は、どの親も子供自身も
「子供は学校へ行くのが当たり前」という考えだったのではないでしょうか?
いまのように「学校へ行かないという選択もある」ということが、
考えられなかった時代だったと思います。

では、そのような選択が昔できていたとしたら
私は学校へ行かなかっただろうか、どうだろうかと考えたりしますが・・・

2011年6月 9日 (木)

ふれること

緘黙とは直接関係ないのかもしれませんが
私はあまり、母親とふれあった記憶がありません。
もちろん、一緒に買い物に行けば、
車があぶないので、手をひかれたり
赤ん坊の頃には、だっこやおんぶで移動させられたりしたでしょう。
けれども、母に甘えて抱きついたり、寄り添って一緒に遊んだり
スキンシップとしての”ふれあい”を
母親とはした覚えがありません。
(私が覚えていないだけなのか・・・)
子供の頃そういう覚えがないからなのか、わかりませんが
大きくなって、母親に対しても、誰に対しても
腕や体が触れるような場面になったとき
何か妙にモヤモヤした気持ちになります。
いたたまれない・・・というか・・・
”あっ、いま触れている”と、過敏に意識するというか・・・。

よそのお母さんと、そのお子さんが
仲良く体を寄せ合って、楽しそうにしているのを見ても
子供の頃でも、今でもなんというか
説明のつかない気持ちになります。
このモヤモヤの正体が何なのか、いまだわかりませんが・・・。


私は三人姉妹の真ん中で育ちましたが
自分だけが、母とのスキンシップの覚えがない・・・わけでなく
振り返ると、姉も妹も特に母親にふれて甘えるような
子供ではなかったような気がします。
けれども姉も妹も、ちゃんと家でも外でも自己表現できる子供に育ち
自分だけが緘黙になりました。

2011年6月10日 (金)

とりのこされる

小学校まではそれでも、学校から帰れば同級生以外の子と
公園で遊んだり、家で遊んだり
学校でのがちがちに押さえつけられた自分のストレスを
本来の自分に戻って発散できていたので、よかったのでしょうが

中学になると本格的に、学校での生活が一日の大半になってきて
公園で遊ぶこともなくなりました。
クラスでの活動に加え、クラブ活動での新しい人間関係・・・
いつまでたっても「だんまり」な自分は、馴染むことができません。
私は自分を押さえこむ時間が増え、「本来の自分」と思っている自分に
戻れる時間が少なくなってきました。
家に帰ると、ただ疲れてベッドで寝っ転がって
漫画や小説を読んだりするくらいになって
普通に話ができるのは、家の中・姉と妹と、ぐらいになっていましたが
その姉も妹も、それぞれに学校の仲間・クラブの仲間がいて
それぞれ、別々の人間関係の中
皆と努力して、何かを達成する喜びを知ったり
うれしい や 楽しいや つまづいたり悩んだりしながら
成長していくのに

自分だけは「無」・・・。

いつまでたっても
時間だけが、だんまりでうつむく自分の上を通り過ぎていきます。
皆と時間を共有し、一歩一歩大人になっていく他の子達。

取り残される自分・・・

自分を表現できないもどかしさに加え、惨めさとか
自己嫌悪とか、孤独感・無気力感・・・
そういう暗い気持ちばかりが、募ってきました。

2011年6月12日 (日)

いまおもうこと

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6月はじめよりこのブログを始めまして、10日あまり経ちますが
正直、過去を思い出す作業は面白いものではないな
気分が沈みがちになるな・・・と感じます。

そもそも何故、過去を振り返る気になったのか
もう一度考えてみます。

現在の自分は、場面緘黙がなくなったわけではありません。
人の集まりは相変わらず緊張しますし
飲み会とか慰安旅行とかも苦手です。

けれども

「それもまぁいいじゃないか」と。
「それも含め自分自身である」と。

緘黙込みで、主婦として、親として、パート労働者として
まずまず自分は頑張ってやっている、と、「いまの自分を受け入れる」余裕
これは多少なりとも最近出来てきたからで
そんな中 「過去の自分も受け入れられないか」と思うようになってきました。
自分が心に出来た余裕を、その「過去の見つめ直し」に当てられないかと。

「はじめに」も記しましたが
「過去の自分と向き合って、受け入れて、自分のこれからを前向きに生きたい」
と思うようになったからです。

自分が
「緘黙のために無駄に・無為に過ごしてきた過去」
「思い出したくない蓋をしておきたい恥かしい過去」
と思っていたものを、見つめるうち

「緘黙であったことは無駄ではなかった。
自分に与えられた課題で、
意味のあることだ」

と思えるようになったら
自分は何か克服でき、成長できるのではと思っています。

2011年6月19日 (日)

みじめなきもち(1)

私は「いじめ」というものにはあったことはありません。

けれども、

「誰とも喋らず、じっとしている人間」
「どのグループにも属さない、ひとりぼっちの人間」

というのは、

「とるにたらない人間」
「見下してもいい人間」
「どのような扱いをしてもかまわない人間」

と見る人もいるのだな、と感じることはありました。


中学の頃。
学級会の時間、委員決めのときのこと。
文化委員・体育委員・図書委員等々、たくさん委員会があり
どの子もどれかに入らなければなりません。
その中で、あまり皆がやりたがらない委員もありました。
他の委員より活動が多く、学級委員ほどではありませんが
人前にたたなければならないようなことが
あるような委員・・・であったと記憶していますが・・・
その委員を決める際、やはり誰も立候補をする人が
いなかったので、推薦で誰か、という話になります。

クラスメートの誰かが「A子さん」を推薦しました。

A子さんは、明朗で頭も良く、しかし奢らず、誰にでも優しく
リーダー格タイプというわけではないですが、
その性格の良さで皆をまとめられるような
私にしてみれば、
「あんな子になりたかった」と思う、理想的な子です。
A子さんなら、任せられるとクラスの誰もが思ったでしょう。

しかし、A子さんは推薦された時「えぇーっ!?」と困った顔をしました。
やはり、誰もが敬遠する委員です。
A子さんだって、当然やりたくないと思ったのでしょう。
それにA子さんは別にやりたい委員があったようで
それを主張しましたが通らなかったようです。
A子さんはがっかりしているようでした。
他に推薦がなければ、その委員はA子さんに決まってしまうでしょう。
その様子を見て、A子さんの前に座っている
A子さんと同じグループにいるB子さんが
「あたしにまかせて」というように、A子さんに何か合図すると挙手をして

B子さんは私を推薦したのです。


この間の更新から、少し間が空いてしまいました。
昔の、記憶に残ることを文章にしようとするのですが
断片と断片をつなぐところが曖昧で
ひょっとすると記憶違いなところもあるかもしれません。

2011年6月20日 (月)

みじめなきもち(2)

私は無表情ながらも、内心非常に驚きました。

私なんかに務まるわけがないのに、どうして!?

 

男女各一名なので、男子の推薦も求めていましたが
もう私にはそんなの耳にはいりません。
心臓がただドキドキ鳴っています。

 

数名の推薦が出たところで、皆の挙手で決をとります。
そこでB子さんが、周りのクラスメートに

「A子さんは、他にやりたいのがあるから
A子さんには手を挙げないでおいてあげて。
あの子(私)に手を挙げて」

と、根回しをしているのです。
私のななめ前あたりが、A子さん・B子さんの席だったので
B子さんが周囲に頼んでいるのが、私には丸聞こえだったのですが
B子さんは、そんなことはかまわないようでした。

 

思ったことははっきり言う
我が強そうな、好き嫌いのはっきりしているB子さん。

「自分のともだちのA子さんが困っているから助けてあげなきゃ!」

 

と、思ったのでしょう。

 

私がどういう気持ちでいるかなどということは
ともだちでもない、ましてや何もしゃべらない、物を考えているかさえ
わからないような子のことなど、どうでもいいという風でした。

 

まわりに働きかけているB子さんの様子を、
A子さんは困って、遠慮がちに「いいよ、いいよ!」と言っているようでした。
B子さんが自分のために好意でしてくれているので強く断れないし、
けれども、このようなやり方は私に悪い・・・と思ってくれたのでしょうか。

A子さんの名前が呼ばれた時、B子さんの根回しが効き、手を挙げる人は
少数でした。
そして、私の名前が呼ばれた時・・・
B子さんは率先して手を挙げました。
何というか・・・妙に誇らしげというか・・・

「私はともだちのためになることをしているのよ」

という自慢気な感じがしました。
B子さんに頼まれた、周りの女子も手を挙げています・・・。

多数決で、その委員は・・・私に決まりました。

「(免れて)よかったね!」
と、
戸惑うA子さんに向かってにこやかなB子さん。
そして、数名の女子が私に(同情の?)目を向け・・・
B子さんも、ななめ後ろ側にいる私を振り返って見た時

・・・私は泣いてしまいました。

2011年6月21日 (火)

みじめなきもち(3)

その時の気持ちは何と言ったらいいのか・・・。

もし、私がただ「普通の子」だったら
大人しいながらに、そこそこの自己主張もでき
どこかのグループに属している「普通の子」であったら
B子さんは、このようなことはしなかったでしょう。

私がだんまりでいる子だから
誰もかばってくれるともだちがいないとわかっているから
どうせ何も言えやしない子だから

踏みつけてもかまわないのだ、
利用してもかまわないのだ、と
意識しているかどうかわからないけれども
私を見たときのB子さんの目が
悪びれることなく、
あきらかに私を見下しているような感じがして

悔しくてみじめで泣けてきたのです。

学級活動が終わった時、A子さんは私のところに来て

「ごめんね。ごめんね。」

と、ほんとうにすまなそうに謝ってくれたのですが
それも、B子さんと違って私なんかに気を使ってくれたことが
少しうれしい半面、やはりかなりみじめで・・・。

「どうして私はこんな女の子になれなかったのだろう」

明るくて活発で頭が良くて、思いやりがあって、
ともだちがたくさんいて、誰にでも好かれる子がいる・・・

なのに

どうして、私は”ひとりでいる子”なのだろう?
なぜ”だんまりで誰にも好かれない子”なのだろう?
”どのような扱いをしてもいいと思われるような子”なのだろう?

みじめな気持ち、答えの出ない問いが
胸の中でどろどろ混ざり合って
心が深く暗い中に落ちて行くような思いでした。

2011年6月26日 (日)

もしも、子供の頃のあの「公園で皆と楽しく遊べる本当の自分」が
学校へ行っても、そのまま、「本当の自分」のままでいられたなら
私はどんなに楽しく学校生活を送れたかと、考えます。

みんなと冗談を言って笑い合ったり
体育の授業も、体をおもいっきり動かせて
休み時間は男女一緒に、野球をしたり、ドッジボールをしたり
クラブ活動は、仲間に負けたくなくて一生懸命練習して。
体育祭がある日は、”授業がなくてラッキー”
修学旅行は”楽しみで楽しみで”
文化祭は、みんなで出し物を考えてワイワイしながら
遅くまで準備して・・・。

どれもこれも、自分が自分自身として
楽しんだり、頑張ったり、悩んだりして
つらいことがあっても、楽しい思い出があって
皆と一緒に成長して、
ずっと友達といえる子がいまでも数人いたりして・・・


・・・でも、そんな風にはなりませんでした。

学校で、一度も私は「本当の自分」になれたことはありませんでした。
学校では、自分の”だんまりの体”は檻のように
「本当の自分」を押し込めたまま、出すことがなかったのです。

いやだいやだいやだ
どうしてどうしてどうして

心で叫んでも、どうにもなりませんでした。
そうして、小学校・中学・高校と進むうち
「檻に閉じ込められた本当の自分」は
次第次第に小さくなっていき
「だんまりで、暗い、じっとしている人間」が
本当の自分に、全てとってかわったようになっていました。

 

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