場面緘黙のこと

2021年1月31日 (日)

ソノ世界にひとつきりの花。

ようこそ、いらっしゃいませ。

もう少し場面緘黙のお話をさせていただくんだけど
もし、興味がおありでしたらお付き合いを・・・

場面緘黙だった学生時代の私の心の状態を
言葉で言い表すのはいまも難しいんだけれど

「学校でしゃべれない」
ってことの前に、何か、深い根っこのところで

「何か自分は他のクラスメートと根本的にどっかが違う」
「皆が共通してわかっている
人間として根本的なことを私だけ知らない」

自分は変なんじゃないか?自分はおかしいんじゃないか?

「どこがどう」っていうのが、
自分でも説明できない。わからない。


でもね、つい最近
「あ、もしかしてこういう感じが近いかも」
ってふと気づいたことがあったんでちょっと記してみます。
これで少しでもアナタにもわかっていただけるかな?


「世界にひとつだけの花」って有名な歌があるじゃないですか。
あの歌詞と世界観をちょっと思い浮かべてみて。

花屋がありましょう?
そして、その店先にでも店内でもいいけど
新鮮な水が張られたいくつものバケツに、
色とりどりの花が入っている、と。
その中に
「何故だかわからないけれど」
一本の造花が紛れ込んでいる、と想像してみて?
何故だか、一本だけ、花屋に、水は必要ない造花が
生花の中に紛れ込んでバケツの中に入っているのを。
店員さんは知っているのか気づかないのか
気付いていてもたいしたことじゃないとほっておいてるのか
わからないけど、
いつまでも造花はそのバケツに生花と共に入れられたままなのよ。
たくさんの生花たちは、
バケツの中でキレイにシャンとして咲いてるよ。
きれいな水に入れられ、お世話もちゃんとされているから。
バラやディジー、ひまわり、カスミソウ、スイートピー・・・
ひとつひとつにちゃんと名前がつけられている花たち。
その中でどれが一番キレイか、なんて
争うことも・・・いや、多少の小競り合いはあるかもしれないけど
ちゃんと、自分はこういう花でこういう姿で
先々は客の要望に沿う花束になるのだろうと
わかっているんだろう。
それじゃ「何故かわからないけどここに入れられている造花」は
自分をどう思えばいいのだろう?
ホントは水なんて必要ないのに
他の生花たちと同じように
「あぁ気持ちいい」ってふりをすればいいのだろうか?
はじめは自分も皆と同じような生花だと思ってたのに
だんだんと自分が造花だとわかってきて
それが他の生花たちに気付かれるのが恥ずかしくて恐ろしい。
シャクヤク・アネモネ・チューリップ・・・
ちゃんと名前がついている生花たちに
「アナタなんて花?」と聞かれたらどう答えたらいい?
自分は造花。作り物の造花。
花びらはあって、茎はあって、葉っぱもついていて
花の形をなしてはいるけど
ユリでもない、マーガレットでもない、桜でもない
ただの花の形をしたつくりもの。
先々に、花束として誰かに渡されることも飾られることもない。
生花の中に、この妙な造花を一本混ぜてほしいなんて客はいるはずない。
なのに何故造花の私がいつまでもここにいるのだろう?

花屋の中にあって、
どの生花が一番だなんて決めるのに意味はないとわかる。
どれもそれぞれに美しさがあって
どれも特別なオンリーワンなのだろう。
この造花も、この中では全くの「ひとつ」だ。
でも、花屋の中にあって、「ここにあるのが間違い」な造花が
無意味にただ一本だけ(ワンオンリー)ある、ということだけだ。

「花屋の中に間違いで入れられた、生花の中の一本の造花」

・・・そんな心理状態がちょっと近いかなと
ふと思ったことです。

お読みくださりありがとう。それでは、また。

※あくまで、私個人の学生時代の気持ちを例えた話で
場面緘黙の人たちが皆このような風であるという話ではないです。

あ、それから近況を・・・
密室介護時の私のささやかな楽しみといえばコレでした。
↓↓
210131

もちろん、皆寝静まった後でね・・・


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2021年1月29日 (金)

コロナと旅行と場面緘黙。

ようこそ、いらっしゃいませ。

更新せぬまま一か月近く経っちゃいましたが
その間色々ありまして・・・

今回は
コロナの波を被り、
介護のために仕事を休み、自宅にほぼ缶詰状態だった時の
(※施設が休館になったための自宅介護。
お義母様自身はちゃんと陰性ですよ)

私がその間に思ったアレコレを綴ります。
よろしければ、お付き合いを・・・



テレビでね、
「緊急事態宣言を受けて、○○学校は修学旅行を中止にした」
ってニュースをやってたのよ。
その修学旅行、はじめは日数を短くしたり
旅行先を近場に変更したり
もちろん感染対策もばっちり考えながら
とにかくいろんな行事がすべて中止になる中
せめて修学旅行だけでも、って先生方も
一生懸命だったんでしょうね。
けれども、最終的に中止の決断・・・
先生のインタビューがあって
残念です。
生徒達も楽しみにしていたろうに。可哀そうで・・・

・・・というようなことをおっしゃっておられたかな・・・
それを見ていて私
「仕方ないけれど・・・お気の毒としか・・・
先生方も一生懸命だったろうし、
生徒さん達も楽しみにしていただろうけどもねぇ・・・」
と、思うと同時にふと

このコロナ禍で、もし自分が学生だったらどうだったかなぁ?

って考えたのよ。
以前も何度か記したけど、幼稚園から短大まで場面緘黙だった私。
学生時代の楽しい思い出なんかありゃしません。
運動会やら遠足、合唱会やら文化祭・・・
どれもこれも、はやく過ぎ去ってほしい地獄の時間でした。
修学旅行もまた然りで
仲良しグループの中に、
人数合わせのため仕方なく入れてもらった人達の
せめて迷惑にならないよう、せめて邪魔にならないよう
無表情だけれど極度に緊張して、もちろん発話もなく
ただただ皆のあとをついて行き、
はやくこの行事が終われと願っていただけの、
全くそれだけの時間だったなぁ・・・と。

だから、もし私がいま学生で、修学旅行中止になりましたと聞いたら
心の底から
「ああっ・・・!よかった・・・!!」
ホッとするだろうなぁと思ったのよ。

多分、学生さんの中にも色んな人はいると、いまは思うのよ。
「本当に残念だ。悔しい!」と
楽しみから一転、心の底からガッカリしている人も多いと思う。
中には「残念だけど、まぁしょうがないよね」と
本当に行けるのかはじめから懐疑的だったんで
わりとすんなり受け入れる人もいれば
「どっちでもいい。ないならないでいい」と
それほど思い入れはないくらいの人
「集団で動くの苦手。まぁ、ラッキー」と
プラス方向に思う人も・・・

でも、色んな考えの学生さんがいるだろうけど
場面緘黙の子の(少なくともその頃の私の)
修学旅行とは
「まるで地獄行きのような恐怖の時間をすごさなければならない」
という認識が
中止になったと聞いたときの
「心の底の底からの安堵感」の間の感情の振り幅は
どの生徒さんより、ぶっちぎりで大きいだろうなと・・・
なんだかそんなことを思いましたよ。

けどね、安堵はするんだけど、
また別の気持ちがわいてきて悩むことになるかも。

生徒さん達は、修学旅行行きたいって願ってた子達が
ほとんどだろうと、その頃の自分だったら思っていたでしょう。
でも、中止と聞いたときの
生徒さん達の落胆した気持ち・・・涙を流す子達もいたかも・・・
それに共感できず、こんなにも「安堵」している自分は
なんて情けない人間なのか・・・
なんてこんなにも皆の気持ちと自分の気持ちに隔たりがあることか・・・
と、罪悪感みたいなものと、やはり自分はおかしいのかという不安で
気持ちが占められてしまったかもなぁと思ったりしたんですよね。
もしかしたら、安堵していると悟られたくなくて
その気持ちを押し込み
わざと心の中で「自分も悲しい」「自分も残念に思う」と
思い込もうとしたかも・・・?


でも、いまの私が
その頃の私に言ってあげるとしたら・・・

「学生は修学旅行が中止になったら悲しく残念に思うものだ」

・・・とは限らないよ、と。

「悲しく残念に思えない自分を
”学生らしくない恥ずかしい奴”と思わなくていい」
「安堵したって、それを責める人はいないよ」
なにより
「”安堵した”気持ちを自分が責めずに受け止めればいい」

ほかにも
「こわい」「いやだ」「やりたくない」「きらい」・・・
そういう思いはすべて「我儘」からくるものだと思っていた。
そういう気持ちを押し込んで「我慢」してきたけれど

押し込めなくってよくて、
湧いてくる気持ちは「我儘だから」じゃなく
「自分なりのものだから」まず受け入れていいんだって

そんなことを言ってあげたいかなと
思ったりするのだけれど・・・
うぅん・・・ちょっとまだうまく言葉にできてないかな。

ひとまず、お読みくださりありがとう。
それでは、また。

しばらくこんな状態だったから、
いろんなことを考える時間はあったよ・・・
↓↓
210129



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2020年4月17日 (金)

「時期」は来る。

いま思えばですが
前の仕事を続けることに疑問を持ち始めた頃に
その「時期」がやってきていたのかもしれません。

現在、場面緘黙は
「なるべく早いうちから
周囲の理解と支援を受けたほうがよい」
とされているようですが
そんなものがとっくに手遅れな
「元場面緘黙の大人」な私たち。

私たちの子供の頃は
「場面緘黙」という言葉すら知らない時代。
多分、運よくおかしいと気づいてもらえ
病院で診てもらえたとしても
当時のお医者さんですら、
まだ認知されていない症状。
「わがまま」「努力不足」
「親の過保護・過干渉」「愛情不足」
見当はずれな診断をされて
状況は悪化するだけだったでしょう。

それに比べて現在は
まだまだとは言え
格段に「場面緘黙」の認知は広がっており
メディアでも取り上げられたり
親や学校が気付いて
配慮する方向を考えてもらえたり
専門に研究しておられる方の
カウンセリングを受けたりもできる
支援の輪は確実に広がっている・・・

なんて「いまの場面緘黙の子達」は
恵まれているの・・・!

・・・と
以前の私は思ったりしたものですが・・・

そりゃあ、認知されてないより
されたほうがよっぽどいいことですし
支援もされないより
されたほうがよっぽどいいことなのです
・・・が

「認知されていようがいまいが
支援されていようがいまいが
その人の悩み苦しみの程度は
その人しかわからないし
その人自身が
背負わなきゃならないことは変わらない」

だから、環境が変わったとしても
昔は不幸で今はマシ
なんて、傍から言えることではないですよね・・・

「場面緘黙」から抜け出したいのに
抜け出せない。
思考の「負のループ」に縛られて
身動きできなくなってしまう
辛く苦しい当事者の心情は
今も昔も変わらない

でもね、その辛く苦しい状況が変わる
「時期」っていうものが
いつかは誰にでもやって来るものじゃないかって
思うようになりました。

認知されて支援を受けている
場面緘黙の子供達にも来るでしょうが

誰にもわかってもらえず
一人で何十年も苦しんできた
「元場面緘黙の大人」のアナタにも。


長年の悩みや苦しみの感情が
何か別の方向に変化してきたような
感覚・・・
何かわからないけど
このままじゃいけないような気持ち・・・

「努力しなきゃ!」

なんて、決死の覚悟じゃなく
なんとなく、あっちに行ったほうが
いいような・・・っていう
呼ばれているような
後押しされているような
そんな感覚・・・
ちょっと言葉にしようとすると
難しいのですが

とにかく、
自分は50代にしてその「時期」が来て
いまここにいるのだと感じられるのです。

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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今回のこの記事
なんと!
ちょうど1000記事目になるんですよぅ!
・・・って言っても
下書き途中のものや、公開してないものも
合わせてなんですが(;´∀`)

200417

記念すべき1000回目に
私の長年の場面緘黙に対する拘りと決別するような
内容になったことに感慨深い思いがいたします。
新しいスタートラインに立ったつもりで
1001記事目からも「ふるまんカフェ」
続けて参りたいと思います。
いつもお寄りくださるアナタにありがとうを。
これからもよろしくお願いいたします。





2020年4月11日 (土)

時期が来た。

ようこそ、いらっしゃいませ。

今回は、主に
「場面緘黙」の二次障害的なものをお持ちの
「元・場面緘黙の大人の人たち」に
お読みいただけたらと思っております。
「場面緘黙」に興味のない方でしたら
またのお越しを・・・
もし、読んでみてもいいわと思われたアナタ
よろしければ、お付き合いを・・・


私はこれまで

「場面緘黙とは結局、何なのか?」
「どうして自分は場面緘黙になったのか?」
「いつまで自分は場面緘黙の後遺症に
悩まされなければならないのか?」
「場面緘黙という症状が早く解明されて
はっきりとした治療法なり改善法なりが
見つかればいいのに!
そうでなければいつまでも自分は
このネガティブな思いから逃れることはできない
この生きにくさから解放されることはない」

と、場面緘黙の正体を知りたい
あるいは誰かに突き止めてほしい
と考えていました。

何か、人間関係でうまくいかないことがあるたび
コミュニケーション下手が露わになるたび
自分を責めたり
恥ずかしさで声をあげたくなったり
その出来事をいつまでも心の中で反芻してしまって
暗い気分を引きずりながら

「結局、自分は場面緘黙だったからダメなんだ。
いつまでたっても、年だけくった大人で
大人らしい対応がまるでできないのも
人にも一人前に扱ってもらえないのも
誰からも好かれないのも
自分が場面緘黙だったからだ
なんでこんな風に生まれついてしまったんだろう?
もう、早く死んでこんな思いから解放されたい・・・」

そんな思いに囚われてしまっていました。

場面緘黙の後遺症に悩むアナタも
そのようなことはなかったでしょうか?

短大を卒業し、就職し、結婚し、子育てし
パート勤め、義母の介護・・・
歳を重ね、色々と状況が変わる中で
あたふたとしているうち
次第にその思いに囚われることも
減ってはきましたが
やはり時々人間関係でつまずいた時
生きづらさを感じる時
「場面緘黙」のまま形成された人格に
自分は死ぬまで支配されねばならないのかと
鬱々とした気分になることがありました。

「場面緘黙は大人になれば治る」

というネット記事もありましたが
何をもってして「治る」と言われるのか・・・

ただ単に
「仕事の話」
「必要最低限の会話」
「事務的な受け答え」
というなら私もできますが
この昔から続く「生きづらさ」は
いつまでも自分の中にこびりついているのに・・・


考えた果ての
私の「場面緘黙」は

そもそも自分の持って生まれた
ネガティブな部分が
環境・育てられ方によって増幅し
それが他人に対する警戒心や不信感を呼び
それと同時に他人に対して服従することや
従順になることを求められていると
無意識に信じ込み
それに対しての自分の感情が
無意識に拒否反応を起こすという
内面の三すくみのような状態が
しゃべれない・他人と関わることができないという
外面の状態に表れてしまうのではないかとか・・・

まぁ、人それぞれ思うことは違いましょうが
私の場合はこんなカンジなのではと思っています。


さて、現在の私ですが

これまで何度も記してきたように
私は、今年は自分の考えを180度変えるよう
生活しています。

そこで、私の「場面緘黙」についての
拘りも変えようとしています。


理屈や原因を探ることに縛られるのはもういいか、と。
ひとりであれこれと考えたり
ネット検索して知識だけを増やすのは
ひとまず いいかな、と。

かなり頭でっかちになっている私にあと必要なのは
実際に自分がどうしたらこの思いから解放されるのか
ということ。

後は結局

まず、とにかく、人と接してみて
体験をしてみて、経験を積んでみて
その中で考えてみる。感じてみる。

いまの自分に必要なのは、
それだと思っています。

(イメージ画を描いてみたけど・・・)
↓↓
200409
(わかりにくいわね・・・ゴメン・・・)

そんなこと、多分
「元場面緘黙の大人の人たち」は
わかり過ぎるくらい
わかっていることですよね・・・

「何度も思い切って」人と接する環境に
飛び込んでいって、そのたびに
「やっぱり自分はダメだ」と
その場から撤退してしまう・・・
撤退しないまでも
また定着してしまう「居づらさ」のパターンに
失望しながら諦めて
悶々としながら日々を過ごす・・・
そんなことの繰り返しだったのでは・・・?
私もそうです。

けれども、今回はいつもと違う
前向きな何かが自分の中にあるのを感じます。
「自分は変わってきているな」と
そのように思える
「時期」が、50代のいま
自分にもやって来たのだと感じているのです。

・・・長くなってしまったので一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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2020年3月27日 (金)

母親についても。

以前、中途半端で終わっていた記事
「母親たるもの」ですが

「何故自分は母親について
好意的な感情がないのか?」
(親にそんな感情を持てない私は
親不孝な罰当たりなのか!?
それは私のせいなのか、母のせいなのか!?)

という自問を解決するため
「自分の母親はそもそもどういう人であるのか?」
ということを深堀りしてみよう、
自分が納得するまで、と。
そして好意的な感情が持てない自分を受け入れよう。
(そうすることで、自分が場面緘黙になった
原因の一端にも触れることができるかも?)
と思ったことから記していたものですが

前回の記事で
人には白い部分も黒い部分も
グレーの部分もあるのだ
その出方は様々だけれど
それがその人なりであるのだと気づき

自分がその人について
白か黒のどちらかなんて
決めつけることはできないこと
そしてその人のことを
好きか嫌いかの二択ではなく
好きな部分もあり
嫌いな部分もあっていいんだと
更にいえば
白だから好きにならなければいけない
黒だから嫌わなければいけない
なんてことでもないんだと
気付いたことで

母のことも
もう、わざわざ深堀りする必要はないか
と考えなおしました。


確かに私は母に
好意的な感情を持っていませんでした。
けれども、それは若い頃の私。
「場面緘黙」に囚われていた頃の私。
私の辛い思いに親として気づかないばかりか
自分は正しいということを疑わず
自分を犠牲にして子供を一人前にしたという
自負が見え隠れすることへの嫌悪感を
いつまでも引きずり続けていたのだろうと思います。

けれども、それは母の一面に過ぎなくて
そして、
私の母に対する感情の一部に過ぎないのです。

今、あらためて考えてみると
私の母に対する感情は
そりゃ、良い感情ばかりではないですが
ちゃんと感謝する気持ちもあり
(”感謝しなければ”ではなく、
ちゃんとした”感謝”です)
こういう部分はいいよな、とか
こういうところは尊敬するわ、とか
素直に思える自分がいるのです。

ひとりの人の中にも
色んな面があるのだから
ひとりの人に対する感情は
一つでなければいけないわけじゃない。

だから
親に100%好意的な感情を持てない子供は
親不孝な罰当たり
・・・というわけじゃないんだ。

全ての感情を許していいんだ。
自分のも人のものも。

逆に母も私のことを
好きになれない部分もあったかもしれない。
いけ好かないとか、鼻につく、
嫌いな部分もあったでしょう。
でも、
そこだけに感づいて傷ついてしまわないでいい。
私の「良い」と
思ってくれた部分もあったはず。
私のためにしてくれたことも確かにあった。
なにより
自分の産んだ子供達を一人前にする
という責任感を持って
育ててくれたのでね。
それは、当然のことではなく
すごいこと、尊敬すべきことだと思うんですよ。
感謝だよなぁ・・・と。


さて、そんなわけで今の自分は
現在80半ばの両親が
近い将来介護が必要になった時
依頼があれば、シモの世話をしに行くことも
別に抵抗なくできるであろう、と思うので
トータルすれば
両親に対して
好意的な感情の割合が高いのだろうと思います。

自分が長年抱えてきた母に対するモヤモヤは
これにて解決としたいと思います。

200327

長々と記しましたが
なかなかわかりやすくお伝えすることが
難しい・・・
なんかちょっとよくわかんない文章でしたかね
でも最後までお読みくださったアナタにありがとうを・・・
それでは、また。


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2020年3月24日 (火)

白であり黒でありグレーであるパンダのように。

あのね、朝の情報番組「ZIP!」の
2月からやってる新コーナーで
「星星のベラベラENGLISH」
っていうのがあるんだけど
それに「星星」ってパンダのキャラクターが
出てくるのよ。
その「星星」
もちろん着ぐるみではあるんだけど
とってもリアルパンダで
初めて見たとき私ちょっとびっくりしたのね。

何がリアルかっていうと
パンダって普通、
毛の色が白と黒だけで表現されるけど
「星星」はちゃんと
胸から腹のあたりの白毛が
汚れたような色なのよ。
グレー・・・ってか茶色っぽいってか。
本物のパンダの画像を見ても
なるほど下半身とか腹とか、
白毛が薄汚れてる部分があるのよね。
あれは、個々のパンダが
もともとそういう色なのか
それとも活動するうちに汚れてくるのか
わからないけれど
そこらへんまでリアルに再現させるのが
すごいと感心したのよね。

それで、気が付いたことがあるんだけど

人間の内面にしても
白と黒だけじゃないわよね・・・
自分はこれまでそんな当たり前のことにも
当たり前すぎる故に
頭では、ちゃんと知ってる気になって
気持ち的には、
実は全然わかってなかったんじゃないかって。


そして、
自分がその人の黒っぽい部分だけを見てても
その人自身、全部が黒いわけじゃないし
白っぽい部分だけを見てても
その人の全身が真っ白だと
決めつけられるわけじゃない・・・と。

ちょっと離れて見ると、
ひとりの人の中に
黒い部分や白い部分、グレーの部分
色んな出方があってのその人なりなんだ
ということがわかったりして・・・

自分がこれまでいかに単純に
人を白か黒かで判断しようとし
好きか嫌いかを決定づけようとしていたことかと
気付いたんですよね・・・

200324

長くなりそうなので
一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


あっ、今回のタイトルもじりは
ドラマ
「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。」
はじめて聞いたとき、
面白いタイトルだと思ったのよ~
でもドラマは観てないのよねぇ・・・
いや、今期は何のドラマも観てなかったわ。
その余裕がなくて・・・


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2020年3月 4日 (水)

深掘りをやめてみる。

ようこそ、いらっしゃいませ。

「自分の考え方を180度変える」

を、今年の目標として生活してるんだけど
いま意識していることは

「人の言葉の裏を読む癖を止める」
「人の態度や素振りの意味を
あれこれ考えようとしない」

ってことでしょうか。

例えば、以前の自分は
たまに人からかけられる褒め言葉ひとつでも
そんなことはないですよ~、と謙遜しながら

そんなことホントは思ってないでしょ、とか
そんな風に言って、私をやる気にさせようと
しているのかしら、とか
そんな風に人のことを褒められる自分凄いと
思っているのかしら、とか
私のことを何もわかってないのに
分かった風なことを言う、とか

色々と否定的で偏屈でいやらしい考えが
わいてしまっていたようです。

褒められればただ素直に
「あら、嬉しい」
と感じればいいことなのにね。

褒めてくれた人がホントは何か
別の思惑があったかどうかだなんて

こっちが考える必要はないことで
逆にあれこれ勘ぐるなんて
純粋に私を褒めてくれたとしたら
相手に対してとても失礼なことですよね。

仮に何か裏の意味があったとしても
「こちらが気にする必要はない」
でしょう。

「裏があったんだ」と、
もし後で気づいたとすれば
その時にどうとでも思えばいいわけで


その時・その時に
ちゃんと、はっきり言葉にして
伝えてくれたことのみを
受け取って、感じればいい。
誉め言葉にしろ、注意にしろ、
アドバイスにしろ。

ひとつの言葉に対して
あるいは何気ない態度ひとつでも
これまでは
深く・深く・深~~~く
掘り下げていってしまい
余計な考え方を発掘して
心の内を
いらんものだらけにしてしまったカンジですかね。
そして、結局自分が本当はどう感じているのかが
わからなくなっていくという・・・

50代・・・もうあれこれと
深堀りするのも
疲れるし、モヤつくだけだし
時間の無駄にもなっちゃうわよね。

「素直になる」

そうすれば気持ちは楽になるし
相手に意味のない敵意を持つこともない。
相手を好意的にとらえることができて
そうすれば自分ももっといいイメージで
見てもらえるようになる。
いいことづくめよね・・・と考えて
ともすれば、前のように
あれこれ考え、暗くなりそうになる時
この言葉を唱えていますよ。

200304

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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2020年2月28日 (金)

さよならさよなら、ありがとう。

このタイトル・・・
ブログを止めるというお話ではないことを
はじめにおことわりしておきまして
またたらたらと思うことを綴ります。
よろしければお付き合いを・・・

去年の今頃の記事を読み返してみたんです。
あの頃はいまの自分がこんな選択をしてると
思ってはいなかったろうな。

もともと1年と数か月前、私は
「昔(子育てしてた頃ね)の落書きを
ちゃんと一つの漫画にしたい」

という「やりたいこと」が見つかった
と、言っていました。

そう言っているうちに
工場の仕事で指を怪我してしまい

「せっかくやりたいことが見つかったのに!
もう絵が描けなくなるかもしれない!」

と、ショックを受けました。

けれども、実際はそこまでひどい怪我では
なく

「きっとこれは、今の仕事をやめて
やりたいことをやるべきだ」

ということなのかもなと。

あの怪我が、その前から
「このままこの工場の仕事を定年まで続けること」
に、疑問を感じていた私の背中を押し

仕事を辞め、やりたいことをやろう。
漫画を描こう。

としたのが
約1年前の話になります。

そして、去年1年間・・・
私は、何をしていたかと言えば

・・・・・・

ぶっちゃけ
漫画を描く以外のことを

していました。

何なんだ!?

というツッコミをいただきそうですね。
いえあの・・・
はじめは描いていたんですよ。
絵を描く練習をしながら
ノートにコンテを書き
原稿用紙に下書きを書き・・・
けれども次第に
「なんかこれじゃない感」が出てきて

それじゃまず一旦、漫画描くことは置いといて
その他の、やりたいと思ったことを
やってみるか!と

ワードやエクセル、簿記や英語
介護の初任者研修やペーパーフラワー
ペーパークラフト・・・
テキスト代やら講習代・受験料・材料費諸々を
自分の貯金を切り崩し
その分が漫画を描く上での
何か自分の実になればと
やっておりました。

・・・・・・が・・・・・・

まぁ・・・色々ごちゃごちゃした思いは
後に記すことにして
結論から言いますと

私にとっての
「絵を描くこと」
「漫画を描くこと」は
単に
「場面緘黙だった昔
それでしか自分を慰めることを
知らなかったから

しがみついていただけで
いまの私は(そして過去の私も)
絵の才能も
漫画を描くための情熱も根気も

全くない!!」

ということに気が付いたのです。

また私は
「自分は場面緘黙でなければ
ちゃんと自分の絵に自信が持てて
人の心を動かすことができる漫画が描けるはず
自分は漫画を描くことが好きで
隠れたスゴイ才能はあるはず」

・・・などという、
学生の頃から密に抱いていた
根拠のない自信や自惚れ・過大な評価を
30代~50代のいままで
無意識ながらにずうっと抱えていた
イタい人間である
と、いうことにも気付き

そうと気づいたら

あの「漫画にしたいと思った過去の落書き」
はじめ、どうしても捨てられなかった
諸々の絵や文字たちを
今度は読み返すことをせずに
どしどしゴミ袋の中に捨てていけたのです。

「さよならさよなら」
「いままでありがとう」

とは、その時の心の呟きでした。

200228
私が働きに行くようになって
ダンナが家事・介護を
かなり積極的にやってくれるようになったな、とかね。


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2020年1月31日 (金)

なんにもしちゃいけない。

さて、まだまだわけのわからない話は
続くのですが、ホントに
「自分が納得したい」
だけの内容になっております。
お読みくださるアナタを
ないがしろにしてしまって
スミマセン。
お気を悪くされるアナタは
今回もお引き取りを・・・
別にかまわんよと思ってくださるアナタ
よろしければお付き合いを・・・


さて、AもBも結局は
「私が勝手に作り上げた虚像」であり
長年、「繊細で何もかもに怯えてしまう」Cが
その虚像たちに支配されていたと
考えるのです。

そうとすると多分、場面緘黙だった頃の私は
内面では、いろんな葛藤が起こっていたでしょう。

小学校低学年くらいまでは
まず、Aだけが
私にいろんな干渉や命令をしていたのかも
と考えます。

「学校では、ちゃんとおとなしくして
先生の言うことをちゃんと聞いて
行儀よくしなさいよ!
ウチでするような、調子に乗ったことや
はしゃぎまわるような恥ずかしいことは
しなさんなよ!
私に恥をかかせるようなことは許さないよ!」と。

もし学校で、ウチでいる時のように
調子に乗って
自分の思うままに振舞ってしまったら
自分は先生に怒られたり
みんなに嫌がられたり
馬鹿にされたり、変な奴と思われたり
するのかもしれない・・・
そうすると、私は先生から罰を受けて、
更に母親に伝えられて
私は母からも叱られて
「そんな子はうちの子じゃない!」
と言われるのかもしれない・・・

無意識ながらに、どんどんと悪い想像をし
Cは怯えていたのかもしれません。

「授業中は、行儀良く先生の話を聞き
ちゃんと勉強に集中し
それ以外は、自分のやりたいことをやって
遊びたいように遊べばいい」

・・・などと、臨機応変な態度などとれないC。
学校の中で、どこまで自制して、
どこまで自分を解放すればいいのかなんて
器用な判断ができないのです。

Aは命令や禁止や抑圧をするだけで
他のことは教えてくれることがなかったからです。


とにかく”学校”の中で叱られないようにするには

自分は何もしないことだ
自分は何もしちゃいけないんだ

それが確かなことだ
それが間違いないことだ

と、無意識ながらに思い込んでしまったのでは?
と思うのです。


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・・・これまでと
似たようなことを言ってるかしら?
何か矛盾したようなことを言ってるかしら?
とか気になって
これまでの記事を読み返したりしてたら
更新の間がちょっと空いちゃいますね。
これからはあまり気にせず
その時その時で思うことを綴っていきます。
何度もクドいこと言ってるかもしれませんが
そこんところはあまり気にせず
お読みくださればと思います。

<近況>
「翔んで埼玉」をレンタルして観たよ。
観てる間中の50代主婦の表情がこちら。
(デ・オウのCMの伊藤英明さんをみてる時の表情と
変わっておりません)

↓↓
200131


いや、面白いっちゃ面白かったんですが
これって、苦笑・・・ですかね。
時々、垣間見える
あの魔夜峰央先生の世界観・・・

マァ・・・♪
実写でこれほど表現できるのね・・・

昔「花とゆめ」で「パタリロ!」読んでた頃を
思い出しましたよ・・・

けど、観た次の日に知ったんだけど
これ2月に地上波で放映するらしいじゃない!
なんだよ・・・50代主婦が
ちょっと恥ずかしい思いしてレンタルしたのに・・・

2020年1月24日 (金)

私の中の姉。

前回は気持ちのワルいお話をしちゃったけど
気持ちワルついでにもう少し気づいたことを・・・



私・・・
母親の影響をかなり受けていると思いますが
「姉」の影響も同様に受けているのかも、と
今回、はっ!と気づいたんですね。

小さい頃、私はよく姉についてまわりました。
母に求めて得られなかったものを
姉に求めていた部分もあったのかもしれません。

妹を可愛がってくれる
優しくて頼りがいがあって誇れる私のおねぇさん

そういうものを
私は姉に求めていたのだろうと思います。

けれども、実際の姉は私の理想とは違い

思い浮かぶのは、母と同じような怒った顔と
ピシャリと刺さるようなキツイ声と物言い。
遊んでくれる時もありましたが
基本、鬱陶しがられ
私のすること言うことにイラッ!とするのか
よく怒鳴られていました。
私が、
姉の趣味や姉が自分だけ大事にしていたいものに
無理やり加わろうとするのも
忌々しく思っていたことでしょう。

物事を上から冷ややかに見つめ、
愛だの恋だの友情だの
情緒にかかわる一切を
くだらないことばからしいことと一蹴し
自分に関わる何もかもに否定的で
認めることがない姉。

父母に反抗し、ばぁちゃんを嫌い
「うちの家族はいい家族」
と、ウチの大人たちが表面だけ
取り繕おうとするのを嫌悪まるだしで
批判する姉。

私の理想とは違っていましたが
私はそんな姉のことを
尊敬している部分もありました。

母と姉が衝突する度
ハラハラドキドキの不安と恐ろしさが
私を襲いましたが
同時に、母に嫌われるとか捨てられるとか
そっぽを向かれるとか
私と違い、そんなことを恐れもせずに
母親に食って掛かる姉が
私には大きく見えました。

以前の記事にもちらっと例えましたが
「ゴジラ対キングギドラ」
みたいなもんで・・・
びくびくと遠巻きに
そのやりとりを眺めるのみの私は
さしずめ
モスラの幼虫といったところでしょうか。

200124


・・・実際のやりとりは
私が思うほど
壮絶なものではなかったかもしれません。
母であれ姉であれ、「こうであった」と思うのは
私が勝手に作り上げた虚像かも。

勝手に私が幼いころ感じたイメージが
増幅していって
虚像が私の中にAとBになって
居座り続けていたのかもしれません。


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・・・今回の画、資料を見ずに描いた後
実際にネット画像で答え合わせしてみました。
・・・迫力的には雲泥の差でしたが
ビジュアル的にはまぁまぁ・・・
当たらずとも遠からず的な・・・?

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