ソノ世界にひとつきりの花。
ようこそ、いらっしゃいませ。
もう少し場面緘黙のお話をさせていただくんだけど
もし、興味がおありでしたらお付き合いを・・・
場面緘黙だった学生時代の私の心の状態を
言葉で言い表すのはいまも難しいんだけれど
「学校でしゃべれない」
ってことの前に、何か、深い根っこのところで
「何か自分は他のクラスメートと根本的にどっかが違う」
「皆が共通してわかっている
人間として根本的なことを私だけ知らない」
自分は変なんじゃないか?自分はおかしいんじゃないか?
「どこがどう」っていうのが、
自分でも説明できない。わからない。
でもね、つい最近
「あ、もしかしてこういう感じが近いかも」
ってふと気づいたことがあったんでちょっと記してみます。
これで少しでもアナタにもわかっていただけるかな?
「世界にひとつだけの花」って有名な歌があるじゃないですか。
あの歌詞と世界観をちょっと思い浮かべてみて。
花屋がありましょう?
そして、その店先にでも店内でもいいけど
新鮮な水が張られたいくつものバケツに、
色とりどりの花が入っている、と。
その中に
「何故だかわからないけれど」
一本の造花が紛れ込んでいる、と想像してみて?
何故だか、一本だけ、花屋に、水は必要ない造花が
生花の中に紛れ込んでバケツの中に入っているのを。
店員さんは知っているのか気づかないのか
気付いていてもたいしたことじゃないとほっておいてるのか
わからないけど、
いつまでも造花はそのバケツに生花と共に入れられたままなのよ。
たくさんの生花たちは、
バケツの中でキレイにシャンとして咲いてるよ。
きれいな水に入れられ、お世話もちゃんとされているから。
バラやディジー、ひまわり、カスミソウ、スイートピー・・・
ひとつひとつにちゃんと名前がつけられている花たち。
その中でどれが一番キレイか、なんて
争うことも・・・いや、多少の小競り合いはあるかもしれないけど
ちゃんと、自分はこういう花でこういう姿で
先々は客の要望に沿う花束になるのだろうと
わかっているんだろう。
それじゃ「何故かわからないけどここに入れられている造花」は
自分をどう思えばいいのだろう?
ホントは水なんて必要ないのに
他の生花たちと同じように
「あぁ気持ちいい」ってふりをすればいいのだろうか?
はじめは自分も皆と同じような生花だと思ってたのに
だんだんと自分が造花だとわかってきて
それが他の生花たちに気付かれるのが恥ずかしくて恐ろしい。
シャクヤク・アネモネ・チューリップ・・・
ちゃんと名前がついている生花たちに
「アナタなんて花?」と聞かれたらどう答えたらいい?
自分は造花。作り物の造花。
花びらはあって、茎はあって、葉っぱもついていて
花の形をなしてはいるけど
ユリでもない、マーガレットでもない、桜でもない
ただの花の形をしたつくりもの。
先々に、花束として誰かに渡されることも飾られることもない。
生花の中に、この妙な造花を一本混ぜてほしいなんて客はいるはずない。
なのに何故造花の私がいつまでもここにいるのだろう?
花屋の中にあって、
どの生花が一番だなんて決めるのに意味はないとわかる。
どれもそれぞれに美しさがあって
どれも特別なオンリーワンなのだろう。
この造花も、この中では全くの「ひとつ」だ。
でも、花屋の中にあって、「ここにあるのが間違い」な造花が
無意味にただ一本だけ(ワンオンリー)ある、ということだけだ。
「花屋の中に間違いで入れられた、生花の中の一本の造花」
・・・そんな心理状態がちょっと近いかなと
ふと思ったことです。
お読みくださりありがとう。それでは、また。
※あくまで、私個人の学生時代の気持ちを例えた話で
場面緘黙の人たちが皆このような風であるという話ではないです。
あ、それから近況を・・・
密室介護時の私のささやかな楽しみといえばコレでした。
↓↓
もちろん、皆寝静まった後でね・・・
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