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2020年4月

2020年4月17日 (金)

「時期」は来る。

いま思えばですが
前の仕事を続けることに疑問を持ち始めた頃に
その「時期」がやってきていたのかもしれません。

現在、場面緘黙は
「なるべく早いうちから
周囲の理解と支援を受けたほうがよい」
とされているようですが
そんなものがとっくに手遅れな
「元場面緘黙の大人」な私たち。

私たちの子供の頃は
「場面緘黙」という言葉すら知らない時代。
多分、運よくおかしいと気づいてもらえ
病院で診てもらえたとしても
当時のお医者さんですら、
まだ認知されていない症状。
「わがまま」「努力不足」
「親の過保護・過干渉」「愛情不足」
見当はずれな診断をされて
状況は悪化するだけだったでしょう。

それに比べて現在は
まだまだとは言え
格段に「場面緘黙」の認知は広がっており
メディアでも取り上げられたり
親や学校が気付いて
配慮する方向を考えてもらえたり
専門に研究しておられる方の
カウンセリングを受けたりもできる
支援の輪は確実に広がっている・・・

なんて「いまの場面緘黙の子達」は
恵まれているの・・・!

・・・と
以前の私は思ったりしたものですが・・・

そりゃあ、認知されてないより
されたほうがよっぽどいいことですし
支援もされないより
されたほうがよっぽどいいことなのです
・・・が

「認知されていようがいまいが
支援されていようがいまいが
その人の悩み苦しみの程度は
その人しかわからないし
その人自身が
背負わなきゃならないことは変わらない」

だから、環境が変わったとしても
昔は不幸で今はマシ
なんて、傍から言えることではないですよね・・・

「場面緘黙」から抜け出したいのに
抜け出せない。
思考の「負のループ」に縛られて
身動きできなくなってしまう
辛く苦しい当事者の心情は
今も昔も変わらない

でもね、その辛く苦しい状況が変わる
「時期」っていうものが
いつかは誰にでもやって来るものじゃないかって
思うようになりました。

認知されて支援を受けている
場面緘黙の子供達にも来るでしょうが

誰にもわかってもらえず
一人で何十年も苦しんできた
「元場面緘黙の大人」のアナタにも。


長年の悩みや苦しみの感情が
何か別の方向に変化してきたような
感覚・・・
何かわからないけど
このままじゃいけないような気持ち・・・

「努力しなきゃ!」

なんて、決死の覚悟じゃなく
なんとなく、あっちに行ったほうが
いいような・・・っていう
呼ばれているような
後押しされているような
そんな感覚・・・
ちょっと言葉にしようとすると
難しいのですが

とにかく、
自分は50代にしてその「時期」が来て
いまここにいるのだと感じられるのです。

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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今回のこの記事
なんと!
ちょうど1000記事目になるんですよぅ!
・・・って言っても
下書き途中のものや、公開してないものも
合わせてなんですが(;´∀`)

200417

記念すべき1000回目に
私の長年の場面緘黙に対する拘りと決別するような
内容になったことに感慨深い思いがいたします。
新しいスタートラインに立ったつもりで
1001記事目からも「ふるまんカフェ」
続けて参りたいと思います。
いつもお寄りくださるアナタにありがとうを。
これからもよろしくお願いいたします。





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2020年4月11日 (土)

時期が来た。

ようこそ、いらっしゃいませ。

今回は、主に
「場面緘黙」の二次障害的なものをお持ちの
「元・場面緘黙の大人の人たち」に
お読みいただけたらと思っております。
「場面緘黙」に興味のない方でしたら
またのお越しを・・・
もし、読んでみてもいいわと思われたアナタ
よろしければ、お付き合いを・・・


私はこれまで

「場面緘黙とは結局、何なのか?」
「どうして自分は場面緘黙になったのか?」
「いつまで自分は場面緘黙の後遺症に
悩まされなければならないのか?」
「場面緘黙という症状が早く解明されて
はっきりとした治療法なり改善法なりが
見つかればいいのに!
そうでなければいつまでも自分は
このネガティブな思いから逃れることはできない
この生きにくさから解放されることはない」

と、場面緘黙の正体を知りたい
あるいは誰かに突き止めてほしい
と考えていました。

何か、人間関係でうまくいかないことがあるたび
コミュニケーション下手が露わになるたび
自分を責めたり
恥ずかしさで声をあげたくなったり
その出来事をいつまでも心の中で反芻してしまって
暗い気分を引きずりながら

「結局、自分は場面緘黙だったからダメなんだ。
いつまでたっても、年だけくった大人で
大人らしい対応がまるでできないのも
人にも一人前に扱ってもらえないのも
誰からも好かれないのも
自分が場面緘黙だったからだ
なんでこんな風に生まれついてしまったんだろう?
もう、早く死んでこんな思いから解放されたい・・・」

そんな思いに囚われてしまっていました。

場面緘黙の後遺症に悩むアナタも
そのようなことはなかったでしょうか?

短大を卒業し、就職し、結婚し、子育てし
パート勤め、義母の介護・・・
歳を重ね、色々と状況が変わる中で
あたふたとしているうち
次第にその思いに囚われることも
減ってはきましたが
やはり時々人間関係でつまずいた時
生きづらさを感じる時
「場面緘黙」のまま形成された人格に
自分は死ぬまで支配されねばならないのかと
鬱々とした気分になることがありました。

「場面緘黙は大人になれば治る」

というネット記事もありましたが
何をもってして「治る」と言われるのか・・・

ただ単に
「仕事の話」
「必要最低限の会話」
「事務的な受け答え」
というなら私もできますが
この昔から続く「生きづらさ」は
いつまでも自分の中にこびりついているのに・・・


考えた果ての
私の「場面緘黙」は

そもそも自分の持って生まれた
ネガティブな部分が
環境・育てられ方によって増幅し
それが他人に対する警戒心や不信感を呼び
それと同時に他人に対して服従することや
従順になることを求められていると
無意識に信じ込み
それに対しての自分の感情が
無意識に拒否反応を起こすという
内面の三すくみのような状態が
しゃべれない・他人と関わることができないという
外面の状態に表れてしまうのではないかとか・・・

まぁ、人それぞれ思うことは違いましょうが
私の場合はこんなカンジなのではと思っています。


さて、現在の私ですが

これまで何度も記してきたように
私は、今年は自分の考えを180度変えるよう
生活しています。

そこで、私の「場面緘黙」についての
拘りも変えようとしています。


理屈や原因を探ることに縛られるのはもういいか、と。
ひとりであれこれと考えたり
ネット検索して知識だけを増やすのは
ひとまず いいかな、と。

かなり頭でっかちになっている私にあと必要なのは
実際に自分がどうしたらこの思いから解放されるのか
ということ。

後は結局

まず、とにかく、人と接してみて
体験をしてみて、経験を積んでみて
その中で考えてみる。感じてみる。

いまの自分に必要なのは、
それだと思っています。

(イメージ画を描いてみたけど・・・)
↓↓
200409
(わかりにくいわね・・・ゴメン・・・)

そんなこと、多分
「元場面緘黙の大人の人たち」は
わかり過ぎるくらい
わかっていることですよね・・・

「何度も思い切って」人と接する環境に
飛び込んでいって、そのたびに
「やっぱり自分はダメだ」と
その場から撤退してしまう・・・
撤退しないまでも
また定着してしまう「居づらさ」のパターンに
失望しながら諦めて
悶々としながら日々を過ごす・・・
そんなことの繰り返しだったのでは・・・?
私もそうです。

けれども、今回はいつもと違う
前向きな何かが自分の中にあるのを感じます。
「自分は変わってきているな」と
そのように思える
「時期」が、50代のいま
自分にもやって来たのだと感じているのです。

・・・長くなってしまったので一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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