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2020年3月27日 (金)

母親についても。

以前、中途半端で終わっていた記事
「母親たるもの」ですが

「何故自分は母親について
好意的な感情がないのか?」
(親にそんな感情を持てない私は
親不孝な罰当たりなのか!?
それは私のせいなのか、母のせいなのか!?)

という自問を解決するため
「自分の母親はそもそもどういう人であるのか?」
ということを深堀りしてみよう、
自分が納得するまで、と。
そして好意的な感情が持てない自分を受け入れよう。
(そうすることで、自分が場面緘黙になった
原因の一端にも触れることができるかも?)
と思ったことから記していたものですが

前回の記事で
人には白い部分も黒い部分も
グレーの部分もあるのだ
その出方は様々だけれど
それがその人なりであるのだと気づき

自分がその人について
白か黒のどちらかなんて
決めつけることはできないこと
そしてその人のことを
好きか嫌いかの二択ではなく
好きな部分もあり
嫌いな部分もあっていいんだと
更にいえば
白だから好きにならなければいけない
黒だから嫌わなければいけない
なんてことでもないんだと
気付いたことで

母のことも
もう、わざわざ深堀りする必要はないか
と考えなおしました。


確かに私は母に
好意的な感情を持っていませんでした。
けれども、それは若い頃の私。
「場面緘黙」に囚われていた頃の私。
私の辛い思いに親として気づかないばかりか
自分は正しいということを疑わず
自分を犠牲にして子供を一人前にしたという
自負が見え隠れすることへの嫌悪感を
いつまでも引きずり続けていたのだろうと思います。

けれども、それは母の一面に過ぎなくて
そして、
私の母に対する感情の一部に過ぎないのです。

今、あらためて考えてみると
私の母に対する感情は
そりゃ、良い感情ばかりではないですが
ちゃんと感謝する気持ちもあり
(”感謝しなければ”ではなく、
ちゃんとした”感謝”です)
こういう部分はいいよな、とか
こういうところは尊敬するわ、とか
素直に思える自分がいるのです。

ひとりの人の中にも
色んな面があるのだから
ひとりの人に対する感情は
一つでなければいけないわけじゃない。

だから
親に100%好意的な感情を持てない子供は
親不孝な罰当たり
・・・というわけじゃないんだ。

全ての感情を許していいんだ。
自分のも人のものも。

逆に母も私のことを
好きになれない部分もあったかもしれない。
いけ好かないとか、鼻につく、
嫌いな部分もあったでしょう。
でも、
そこだけに感づいて傷ついてしまわないでいい。
私の「良い」と
思ってくれた部分もあったはず。
私のためにしてくれたことも確かにあった。
なにより
自分の産んだ子供達を一人前にする
という責任感を持って
育ててくれたのでね。
それは、当然のことではなく
すごいこと、尊敬すべきことだと思うんですよ。
感謝だよなぁ・・・と。


さて、そんなわけで今の自分は
現在80半ばの両親が
近い将来介護が必要になった時
依頼があれば、シモの世話をしに行くことも
別に抵抗なくできるであろう、と思うので
トータルすれば
両親に対して
好意的な感情の割合が高いのだろうと思います。

自分が長年抱えてきた母に対するモヤモヤは
これにて解決としたいと思います。

200327

長々と記しましたが
なかなかわかりやすくお伝えすることが
難しい・・・
なんかちょっとよくわかんない文章でしたかね
でも最後までお読みくださったアナタにありがとうを・・・
それでは、また。


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