« わたしはいい子。(6) | トップページ | これよ!これなのよ!! »

2019年9月11日 (水)

私の中の無意識が。

自分がどうして学生時代
場面緘黙だったのかと
50代のいま、
このように考えてみているのですが

はじめに言っていた
「HSP」であるのかもしれないことも
原因になっていると思います
自分がどうしたいかということより先に
親や先生が、何をこちらに求めているかを
無意識に感じ取ってしまって
それに沿わないと
親に叱られる、先生に怒られると
極度に緊張して
行き過ぎた反応が緘黙という状態に
なったのではないか・・・とか・・・。

でも、ちょっとそれだけではないのかも・・・
と思っていて

考えているうちまた思いついたことなのですが

私は学校ではいつも
「家にいるときのように、
ちゃんとお喋りができたら
公園にいるときのように、
楽しく体を動かして
みんなといろんな遊びができたら」
と願っていました。
本当にだんまり状態から解放されたいと
思っていたのです。
意識的には本当にそう思っていたのですが・・・

その奥の自分の無意識のほうで

「ホントの自分を出したらまずい」

と感じていたのではないかとも思うのです。

なぜなら・・・

私は
大人の言うことをきくだけの「いい子」
にはなれますが
本当の「いい子」ではないからです。
家での私、公園での私は
単なる
「明るく元気な子供らしい子供」
ではなく
教室で集団生活をするとなったら
きっと何かを「やらかす」子供であるのでは?
「調子乗り」な私は
空気を読まずに行動したり発言したりして
みんなを不快にさせたり
怒らせたり
嫌われたりするのでは?

そんな風に
「素の自分」も
みんなに受け入れられない人間であると
無意識の自分は勘づいていたのではないか
そんなことを思ったりもするのです。

確かに、いま考えてみると
子供の頃の「素の自分」は
結構イヤな面もあった子供だったと思うのです。
姉たちの年上グループに入れてもらいたがり
ついてまわったり、同じことをしたがって
うっとおしがられたこともありました。
年下の子には、やさしくなく
特に自己主張をはっきりする子は虫が好かなくて
悪口を言ったりしてました。
妹に対しても
意地悪なことをした時期もありました。

けれども
ひょっとして、子供というものは誰でも
それぞれに子供特有の・・・
なんていったらいいか
「子供ながらの狡さ」?とか
「子供ながらのいやらしさ」?
「子供ながらの無遠慮さ・無神経さ」?
みたいなものがあって
そういうものをあけすけに出しながら
人と関わるうちに経験から
「こういうところはまずいぞ」と
自分の良くない部分を意識的に感じ取って
自分自身で矯正しながら
成長していくものなのかもしれませんが

私の場合は、先んじて無意識が
脅すように知らせていたのかも

「そんな自分を学校で出したらまずいぞ
もし、素の自分を出したらおまえは
逃げ出せない箱の中で
クラスメートからも先生からも
嫌がられて、嫌われて、
いじめにあったりするんだぞ
おまえはそんな子供なんだぞ」

「だから黙っていれば間違いはない
何もしなければ、何も起こらない
嫌われることもなければ
いじめられることもない」

「そうすれば、親や先生の手を煩わせる子供に
なることもない」

・・・・・・


「親や先生」のためいい子でいなきゃいけない
「素の自分」を出したらいけない

二重ロックをかけたような状態で
あったのではないかと思うのですが・・・

たらたらと、とりとめない話をしています。
まだ続きますが、ひとまずここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


場面緘黙症ランキング

あっ、近況ですが・・・
↓↓
190911
ほかにも
「一緒に暮らそう・・・俺、正社員になる」
「報告があります・・・俺、正社員になります」
とかいうやつね。
毎回、おいおい・・・と思うのですがまぁ・・・
カワイイからいっか・・・


絵日記ランキング

|

« わたしはいい子。(6) | トップページ | これよ!これなのよ!! »

場面緘黙のこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« わたしはいい子。(6) | トップページ | これよ!これなのよ!! »