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2019年8月30日 (金)

わたしはいい子。(5)

小学校に入った頃の話になります。

私の家はA市とB市のちょうど境にあり
幼稚園はA市のところに通っていましたが
小学校はとなると
A市のほうが近くても
住所がB市にあったので
B小学校に通うことになりました。
幼稚園で一緒だった子たちとは別々になるのですが
特にどうという気持ちもなく・・・
そういうものだと思っていたのか
そもそも、
「住んでいる市がみんなと違うから
自分だけ別の学校に行くのだ」
ということすら
考えなかったかもしれません。

入学前は、
ただ期待でワクワクしていたと思います。
新しいランドセル、新しい机

新しいことが始まるという期待のみで、
その時は、
不安なんてなかったんじゃないかなぁ・・・

それが・・・現実は

教室ではしゃべれない子
机にじっとしているだけの子

になるとは、自分でも驚きです。

多分、はじめのうちは
自分で自覚はなかったような気がします。
何もしゃべれない
というわけでもなかった気がしますし
誰かに何かを聞かれれば
答えるくらいはしていたと思いますし
みんなで外で遊びましょうと
声をかけられれば行って
鬼ごっこやら、だるまさんがころんだやら
やっていた覚えがあります。
ただ、「遊びを楽しむ」とかいうことがなく
「そういう遊びにただ参加している」
というだけで・・・


小学校入りたての頃でも
ほかの子達がわりと
物おじせずに振舞えているような
カンジがしたのは

ひょっとしたら、
B市保育園の頃からすでに一緒だったという
顔なじみの子達が多かったかもしれないし
そうでなくても
代々B市に住んでいるという
人達が多いので
家族ぐるみの付き合いがもともと
ある子達だったかもしれません。

だとしたら
はじめから
「同じ地域のぼくたちわたしたち」
という感覚があるのかなぁ・・・?
入れられる箱が
「保育園の教室」から「学校の教室」
に変わっただけで
なんら臆する必要はない。
・・・ということを
みんなは知っているような・・・?

私が

自分が何もしゃべれない子である
自分が机から離れない子である

というのは
皆がクラスという
箱の中にいながらにして
自分というものを出しながら
その中で楽しそうに遊んだり、
おしゃべりしたりしてるのを
ぼんやり見ているうちに

そして、ほかの子達が私のことを
「おとなしい」「しゃべらない」と
ぼつぼつと言うようになってきて
なんとなく感じてきたのかもしれません。

なんだかわからないけど
この箱の中で、わたしはひとりだ・・・
わたしはなんだか、みんなとちがう・・・

幼稚園の時に感じていた気持ちを
学校でも変わらず感じることになるのでした。

190828


いま考えると
学校の、教室という箱の中では私は
「自発」とか「意欲」とか「意思」とか
そういう・・・
こうしたいとかやってみたいとかの
自分自身の内面から出てくるものが
あるにはあったんですが
何故かそれを押さえつけるものが
あったように感じます。


お読みくださりありがとう。
まだ続きますが、とりあえず・・


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