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2019年7月16日 (火)

軽い言葉の重み(6)

それから、どうなったかというと
多分、最初はぎこちなかったけれども
数日経つと、またばぁちゃんと私は
いつもの関係に戻ったと思います。

母にも、その後はそのことで怒られることはなく
父も、私と遊んでくれるいつもの父に戻りました。

恐怖から解放されたあの時
私は心底ほっとして
すべて前のように戻ったことを
喜びましたが

それでも、あの時起こった
私にとっての重大事件は
結構、心に根強く残っており

ばぁちゃんと一緒にいるときに
何かばぁちゃんが黙っているような時

あれ!?ばぁちゃん、いま怒っているのかな。私また何か怒らせるようなことを言ったんだっけ!?”

と、頭の中でさっきどんな会話をしていたのかとぐるぐる思い返してはビクビクしたり
別に怒っていなかった、私の気のせいだったとわかるとホッとしたり
私ではなく、姉がばぁちゃんに向かって何かキツいようなことを言っているのを聞いた時も

”あぁ!ばぁちゃん怒っちゃうよ!おねぇちゃん、やめてよ!”

と、ハラハラしては
ばぁちゃんの顔色をうかがうようになっていました。


月日が経つうち、そんな”私の大事件”は色んなことのあったうちの一つになり
ばぁちゃんとの関係も変化していきました。

もう、一緒におはじきやなわとびをする年ではなくなり
ばぁちゃんの「気難しい性格」と言われるところが
私にも、分かってくるにつれ
対応が面倒に感じることが増え
自然と、ばぁちゃんから距離をおくようになっていきました。
「遊び相手になってくれるウチのおばぁちゃん」から
「気を遣って対応しなければならないウチの高齢者」という認識ですかね。

月日は流れ流れて

私は結婚し、家を出て、二人の子供の母となり・・・

盆と正月、帰るたび
認知症が進み、足腰が弱くなっているばぁちゃん。

転倒して骨折してからは
家ではベッドで過ごし
母の介護を受け
ディサービスやショートステイを受けながらの日々は
10年ほど続いたのでしょうか。

晩年はもう、昔の「気難しい姑」の影はなく
嫁である母との関係も、とうに逆転し
幼子のように、母頼りの生活・・・
たまに帰る私の名前も、孫であることも覚えておらず
それでも、皺だらけの小さな顔で微笑む姿は
なんだか仏様のようにも見えました。

190716

そして・・・

数か月の入院の後
ばぁちゃんは98歳で亡くなりました。


次回で一区切りですので!
すみませんが、よろしければ・・・
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