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2019年4月11日 (木)

それでも。

ようこそ、いらっしゃいませ。

幼稚園から短大まで私は「場面緘黙」だったのですが
自分の自己評価の低さは
この時代が関係があるのでは・・・という話の続きになります。
あまり気分が上がる話ではありませんが
よろしければお付き合いを・・・

「場面緘黙」というのは、ざっくり言うと
ある特定の場所で言葉が出なく(出にくく)なる状態のことで
私の場合は家庭では普通に喋れるのに
学校ではとたんに喋れなくなる状態でした。

まぁとにかく、
「喋らない子」
「固まったようにじっとしてる子」
であったわけなのですが
そういう子供を
まわりのいわゆる”普通”の子というのは
「どういう扱いをしてもいい」
「自分より下」
とみるんですね。

明らかに馬鹿にしたような態度を取られることも
苦痛でしたが
好意であれ何かこう・・・
まるで幼児に対するような接し方をされるのも
惨めな思いがしました。

でも、自分がこんななのだから
そんな扱いをされても仕方ない、とも思っていました。
何も言い返せない自分が悪い
子供のように扱われても、
相手は自分のことを思ってしてくれるんだから
気を悪くするなんて間違ってる。

自分自身も何故こんな状態になるのかわからないし
自分の周りをとりまく世界も
何か自分にはわからない暗黙のルールが存在しているような感じ。

「みんなは知っているのに自分だけがわからない」

なんていうのか・・・混沌とした中にずっといたような気がします。


でもまぁ、いま記したいのは
”昔はこんなに苦しくて辛かった”ってことじゃなくて
ただ「場面緘黙だった」という過去の事実と
それが「自己評価」を下げている原因になり
現在も続いていたということ。

けど、自分は社会に出てからは
OLやって、結婚して知らない土地で
同居しながら子供を二人育てながら内職したり
フルでパートを10年以上したりしながら
なんとかでも子供を自立させて今は義理の母親の介護もしてる。
これも事実のことで。

そりゃひとつひとつ取り上げれば
至らないところもたくさんあって思い出せば
嫌な事、失敗したこと、恥ずかしいこと
申し訳ないことばかりが浮かんで
それも余計に自己評価を下げる原因になってしまうけど

やってきたことだけをトータルで見て行けば
「自分はよくやってきた」し「自分はよくやっている」と
自分に対する評価を、ちょっとは上げてもいいだけの
事実材料はあるじゃないかと。

で、自分に対する考え方を変えて
自分自身を認めて、自分自身を大事にしていくことによって
周囲の目も変わっていくのじゃないかと。
「アイツはどうせ、どういう扱いをしてもいい奴だから」
なんてふざけた思われ方はされなくなるんじゃないかと。

今回、気づいたことは
自分の価値って自分で決められるのね
というか
自分だって、自分で決めていい価値はもっているし、
守っていい尊厳ももっている

ということかな。

頭の中を整理整頓していって
自分をちょっと俯瞰で眺めると
色々と発見することがあるわと
50代になってやっと気づいた次第です。

そしてまた・・・仕事を辞めてみて
またちょっと考えたことがあるのですが・・・
長くなりましたので、一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。それでは、また。

190408

    (↑↑「再会」じゃなくて「再開」でした)


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