2020年5月18日 (月)

カメラを止めて!

さて、過去のビデオテープを観ながら
私の胸に去来するものは何だったのか・・・
というお話になります。
よろしければ、お付き合いを・・・


ぶっちゃけて言うと私

当時、ビデオカメラを回すダンナに
不満アリアリだったんですよ・・・

何が不満だったか

ダンナはビデオカメラを回すことによって
「自分は子煩悩である」
「周囲からは良い父親にみえることだろう」
と、勘違いしながら
悦に入っているようなところが
私には透けて見えるような感じがしてたのよ。

そして
「ホームビデオを撮る父親」
という役割を自らに与えることによって
他のやるべきことは一切免除になる
と、勝手に判断しているようなところがね・・・。

そしてまたそのころの私も

後々まで記録として残ってしまう「それ」に
よくないものを撮られてはイカン・・・と
イラムカを表面に出さずに
撮られ続けていたことと

何も知らない無垢な子供達との対比が

何て言ったらいいのかわからないけど
そういうことが思い出されての
イライラありムカムカあり
また辛く切なくもあり
胸が締め付けられるようなものもありで・・・

見続けているのが、
たまらなくなっていたんですよね・・・

でも、ダンナ自身は全くそんなことは
考えていないのよね、多分。
幼い頃の子供達をただ懐かしく眺め
昔の頃の家や父母、私や自分の若い姿を眺め
「やはりあの頃、
こういうものを撮っておいてよかった」と
思うのみなのでしょう。

あの頃のダンナ・・・
ただ仕事に行って金を稼いでくることが
自分の役割で
それを果たせばそれですべてがOKであると

「子供を育てること」自体は
自分の役割ではない、と
それは女親の役割である、と

思い込める単純さはなんだったんだろう?

休みの日に
自分が車を運転して、
妻と子供達をどこかへ「運ぶ」のが
「良い」父親。
ビデオカメラや写真を撮って
記録として家族の姿を残しておいてやるのが
「良い」父親。
父親として、自分はちゃんと役割を果たしていると
疑いももたないのが
こちらからすると不思議で不満だったのよ・・・

いつも、私と子供達の空間から一歩も二歩も
距離を置いているダンナ。
第三者的立場にいるダンナ。


ダラダラと
ビデオカメラを回すのはもうやめて!

子供達ともう少し関わってよ!
もう少し、育児に協力してよ!!

28年前の
円満な家庭であるようなフリをして
心の中でそんなことを叫んでいた自分の姿を
「どうだ、懐かしいだろう」
とばかりに見せつけられるのは
今更、何をどうすることもできないのに
ただ塞がっていたものを
掘り返されるだけのようで
苦々しいばかりなのですよ・・・


・・・まぁ、そんなことが
最近ありましたよというお話でした。
気持ちをここにぶちまけて
少しスッキリしましたよ。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。

今回の画・・・
テープの中の私と娘を描くといいかしらと思ったんだけど
描こうとすると、なんか気分が沈んでしまって・・・
そこでブログにはこれまであまり登場することのなかった
義父を描いてみました。
優しく穏やかな義父でしたよ・・・。
↓↓
200518


ひょっとして同じような不満をかかえながら
家事育児をこなされていた奥様って
多いんじゃないかしら~?
「そうそう!私もよ!」と共感された奥様
よろしければ、どちらでもポッチリと。
↓↓


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2020年5月13日 (水)

かさぶたをむかれるような。

ようこそ、いらっしゃいませ。

さて今回は、このステイホーム生活の時期
ダンナが見つけた趣味(というか時間つぶし?)
と、それによって私が
何故だか不快な感情が湧きおこった
というお話になります。

よろしければ、お付き合いを・・・


ダンナが見つけた差し当たりの時間つぶし。
それは・・・

娘・息子が生まれたばかりの頃から
ビデオカメラで映していたテープを
押し入れから引っ張り出し

それをDVDにうつし直そうと
いうものでございます・・・。

ダンナが十数本のテープを居間に持ってきたとき
「それ、もう劣化して多分観れないよ・・・」と
私は思ったんですがね。
しかも、28年前のビデオカメラ本体がもうないし
まず再生そのものが出来ないじゃん、と。

しかし、ダンナその数日後
ネットで同じビデオカメラを見つけましてね。
そこで購入したんですよ!
普段、ネットでなんて
「やり方がわからん」と敬遠してたのに
今回は、購入の仕方を自分で調べてまで
手に入れたのですよ・・・

(あっ、いまはスマホで動画がとれる時代。
若い人にはどんなものかイメージが湧きづらいかしら?
一応、画にするとこう↓↓)

200513

なんとまぁ・・・けど
古いテープだもの・・・映んないわよねぇ・・・

と、思ってたのに

・・・映っとるがね・・・Σ(゚Д゚)!!

テレビと接続されたビデオカメラは
28年前の記録を
しっかりと
(でも、やっぱりザーザーもするけど)
再生したのでしたよ・・・!

娘・息子の赤ん坊~幼児の頃。
若い頃の私。
若い頃の義父母。
変わらずの
(でも、散らかってる内容が子供のモノ)
台所や居間。
近場の公園から遠出した遊園地まで・・・。

あぁ、そうそう・・・こんなだったわねぇ・・・

懐かしい思いももちろんあります。
あの頃、娘や息子は可愛らしかったと
思えますよ・・・

けど・・・けど、なんだろう・・・?
この気持ち・・・

私、実は・・・ダンナが撮ったこのテープ
それほど観たいと思ってなかったことに
気付いたんです。

で、実際再生されてるのを観てたら
モヤモヤ・イライラしてきちゃったんです・・・

だから途中で、席を立って
洗い物したり、パソコン部屋に
行ったりしてね・・・

ダンナにしてみれば

子供達の子供の頃の姿を
観たくないのか?
何故、ふるまんは仏頂面をしているのだ?
何故、集中して観ようとしないのだ?

と、思ったかもしれません。
私もはじめ、何故観たくないのか
自分でもわからず不思議な気がしたんですよ。
「子供達のことが実は可愛くなかったのかしら?」
と、一瞬思いましたが・・・
考えてみると・・・

わかりましたよ・・・

何故、こんなにイラムカしたのか。
胸がグーーーッ!となるような感覚になったのか。

これをお読みになった奥様。
なんとなく想像がおつきになるでしょうか?

このイラムカは、
過去のトラウマを悪意なくつつかれるような
そっとしておきたい傷のかさぶたを、
「はがしてあげよう」と
相手に余計なお世話感覚で寄ってこられるような
そんなイラムカだったと気づいたのですが・・・

これについては長くなるので
次回語らせていただきます。

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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次回は結構、私と同じ年代の奥様の
共感を得られる内容になるのではないかなぁ~
・・・と思っておりますよ~。

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2020年5月 8日 (金)

おじいちゃん化!

ようこそ、いらっしゃいませ。

さて今回は、前回の予告どおり
ダンナに対する愚痴を吐き出させていただきます。
こんな時期
意外なことで
ストレスが溜まってしまうことを知る・・・
よろしければお付き合いを・・・。



前回記したように
私自身は不要不急の外出はせず、
感染防止にかなりの注意を
払っていると思ってはいるのですが・・・

ダンナ・・・

もう少し、
外出を控えようって気にならねぇかい・・・?


もともとアウトドア志向のダンナ。
家でじっとしていることが
耐えられないようなんですよ・・・
いや、でもね、
それにしては我慢しているとは思いますよ。
趣味のランニングはやめてるし
友人とのモーニングにも行ってない。
こんないい陽気が続けば、
いつものようにぶらりと
一人でドライブに出たいだろうに
それもしてないからねぇ
これ以上我慢しろってのが酷なのかもしれんけど

ほぼ毎日・・・
買い物に出かけるのはどうなのか・・・?

もちろん、マスクはして出てるし
まぁまぁの短時間で帰ってきてはいますよ。
帰ってくれば居間に入る前に、
手洗いうがいで、気を遣っているのはわかります。

でも、もうとにかく気晴らしがしたいんでしょうね。
毎日毎日
「あれが無くなったから買ってくる」
「これが切れたから買ったほうがいいだろう」
ってな感じで、主に日用品をね
車で町まで出かけて買いに行くんですよ。

正直、そりゃあった方がいいものばかりなんだけど
別にメモっておいて3日に1度、5日に1度に
まとめて買ったらいいじゃんかって思うのよ。
店に行けば、どうしても余分なものまで
買ってきちゃうし
知り合いに会えば、立ち話なんかも
しちゃうだろうとか思うと
なんか色々、モヤモヤしちゃうのよ~。

かと言って、その唯一の外出までも
禁止しちゃうと

一気にダンナの
おじいちゃん化
が進むという懸念もあるのよ~!
( ノД`)シクシク…


その外出をする以外は
ダンナ、何してるかっていうと
座椅子にもたれて、情報番組みてるか
録画したバラエティみてるか
とにかくテレビをダダ観してるのみなのよ・・・
あっ、私が仕事に行ってる時には
お義母様のお世話はしてくれてるけどね。
(自分の実の母親だから当たり前っちゃそうだけど)
ちょっと恐ろしくなるのは
いつもはちゃんと毎晩髭剃りしてたのに
「面倒くさかったのだ」と
剃らずに風呂から出ることがあるの。
翌日、濃い髭の浮いた顔で
ぼや~っとテレビを観てる姿をみると
なんか、
一気に老化が進んだような気がして・・・

もしかして、お義母様とダンナを
ダブル介護せにゃならん未来が来るのか・・・?

と、うすら寒い予感が頭をよぎったりいたします。

200508

だからさぁ~、
何か家で一人でできる趣味を
持っておくべきなのよ~!

私がダンナにひそかに
やってほしいと思っているのは
家の、野っぱらになってる土地耕して
野菜でも、花でも
育ててほしいんだけどねぇ~・・・
でも、そこの毎年やってる草刈り自体を
億劫がってまだやってないから
言っても無駄よねぇ・・・

あぁ・・・長々と記しましたが
ちょっとスッキリいたしました。
お読みくださったアナタにありがとうを。
それでは、また。


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さて、そんなダンナですが
この間のこと。
趣味とまではいかない
差し当たりのやるべきことを見つけたのですが
それに関して私が
精神的に苦痛を感じてしまうという
事態になったというお話は次回に。


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2020年5月 5日 (火)

「見えない仕事」をする者が・・・。

ようこそ、いらっしゃいませ。

皆様ステイホーム生活いかがお過ごしでしょうか?

私はというと・・・
今までとそれほど生活は変わっていないんですよぅ。
いえ、介護を仕事にしているので
感染対策にはこれまで以上に気を遣っておりますよ。
けど、生活自体はね・・・
普段は車で職場と家の行き来のみ
買い出しはいままでと変わらず10日に一度くらい。
本屋さんやレンタル屋さんに
寄ることがなくなったので
テレビで面白そうなのがやる時に
録画して観たり
本が読みたくなったら
電子書籍ですぐダウンロードしたりね。
そういうわけで滅多に外には出てないんですが
それほど不自由も感じてはおりません。
でも、こんな風に変わらずステイホーム生活を
続けていられるのも
感染のリスクがありながらも
働いてくださってる人達のおかげなんだって
この頃しみじみ感じるわ・・・
もし、そこで働く人がいなくなっちゃったら
電気もガスも水道も宅配も郵便も新聞も
ちゃんと家に届かなくなっちゃうんだものね。
ゴミだって集めてくれる人がいるから
清潔な環境が保たれてるんだし
スーパーでちゃんと品物がそろってること
惣菜が売られていること
食料品が買えること
これだって、色んな人の働きがあるからって
ことなんだよなぁって
あらためて感謝の思いがわいてくるようになったわ。
他にも色々・色々な人達が
私たちの生活の土台を支える仕事を
してくれているんでしょう。
いままで、それが当たり前で
それほど注目されることもなかった仕事が
実はとっても大事だったんだってことに
気付かされる、
そんなコロナ禍の日常でございます・・・。

コロナ問題が終息した後の世の中
色んなことが変わってくると私も思うよ。
いままで
「見えなかった仕事」や
「取るに足らないと思われた仕事」が
見直されるようになるんじゃないかなぁ~・・・?

以前の記事
→「名もなき仕事」をする者が。(2019.5.14)
1年前こんなこと考えてたのよね・・・


あ!もちろんもちろん
医療関係の方々には
本当に敬意と感謝を感じておりますよ!

そして介護関係に携わる方々も!

私は義母を介護してもらう立場も
自分が他の高齢者の方々を介護する立場も
両方経験させてもらってますが
どんなに気を付けていても
いつどうなるかわからない状況。
一日何もなく過ぎたことの安堵。
もし、一人でもどうかなると
ガラッと状況が変わってしまうことへの不安
とにかく、利用者の方々・スタッフの方々
自分を含めて罹らぬようにと念じながら
当たり前に仕事ができることは
実は当たり前でないのだと意識しながら
送る日々・・・

って、なぁんか
堅苦しいマジメな話ばっかりしちゃうけど
体組成計に乗って、一喜一憂する
せせこましい日常は変わっておりません。
↓↓
200429

さて、次回は久々に
ダンナに関するグチを吐かせていただこうかな。

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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2020年4月17日 (金)

「時期」は来る。

いま思えばですが
前の仕事を続けることに疑問を持ち始めた頃に
その「時期」がやってきていたのかもしれません。

現在、場面緘黙は
「なるべく早いうちから
周囲の理解と支援を受けたほうがよい」
とされているようですが
そんなものがとっくに手遅れな
「元場面緘黙の大人」な私たち。

私たちの子供の頃は
「場面緘黙」という言葉すら知らない時代。
多分、運よくおかしいと気づいてもらえ
病院で診てもらえたとしても
当時のお医者さんですら、
まだ認知されていない症状。
「わがまま」「努力不足」
「親の過保護・過干渉」「愛情不足」
見当はずれな診断をされて
状況は悪化するだけだったでしょう。

それに比べて現在は
まだまだとは言え
格段に「場面緘黙」の認知は広がっており
メディアでも取り上げられたり
親や学校が気付いて
配慮する方向を考えてもらえたり
専門に研究しておられる方の
カウンセリングを受けたりもできる
支援の輪は確実に広がっている・・・

なんて「いまの場面緘黙の子達」は
恵まれているの・・・!

・・・と
以前の私は思ったりしたものですが・・・

そりゃあ、認知されてないより
されたほうがよっぽどいいことですし
支援もされないより
されたほうがよっぽどいいことなのです
・・・が

「認知されていようがいまいが
支援されていようがいまいが
その人の悩み苦しみの程度は
その人しかわからないし
その人自身が
背負わなきゃならないことは変わらない」

だから、環境が変わったとしても
昔は不幸で今はマシ
なんて、傍から言えることではないですよね・・・

「場面緘黙」から抜け出したいのに
抜け出せない。
思考の「負のループ」に縛られて
身動きできなくなってしまう
辛く苦しい当事者の心情は
今も昔も変わらない

でもね、その辛く苦しい状況が変わる
「時期」っていうものが
いつかは誰にでもやって来るものじゃないかって
思うようになりました。

認知されて支援を受けている
場面緘黙の子供達にも来るでしょうが

誰にもわかってもらえず
一人で何十年も苦しんできた
「元場面緘黙の大人」のアナタにも。


長年の悩みや苦しみの感情が
何か別の方向に変化してきたような
感覚・・・
何かわからないけど
このままじゃいけないような気持ち・・・

「努力しなきゃ!」

なんて、決死の覚悟じゃなく
なんとなく、あっちに行ったほうが
いいような・・・っていう
呼ばれているような
後押しされているような
そんな感覚・・・
ちょっと言葉にしようとすると
難しいのですが

とにかく、
自分は50代にしてその「時期」が来て
いまここにいるのだと感じられるのです。

お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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今回のこの記事
なんと!
ちょうど1000記事目になるんですよぅ!
・・・って言っても
下書き途中のものや、公開してないものも
合わせてなんですが(;´∀`)

200417

記念すべき1000回目に
私の長年の場面緘黙に対する拘りと決別するような
内容になったことに感慨深い思いがいたします。
新しいスタートラインに立ったつもりで
1001記事目からも「ふるまんカフェ」
続けて参りたいと思います。
いつもお寄りくださるアナタにありがとうを。
これからもよろしくお願いいたします。





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2020年4月11日 (土)

時期が来た。

ようこそ、いらっしゃいませ。

今回は、主に
「場面緘黙」の二次障害的なものをお持ちの
「元・場面緘黙の大人の人たち」に
お読みいただけたらと思っております。
「場面緘黙」に興味のない方でしたら
またのお越しを・・・
もし、読んでみてもいいわと思われたアナタ
よろしければ、お付き合いを・・・


私はこれまで

「場面緘黙とは結局、何なのか?」
「どうして自分は場面緘黙になったのか?」
「いつまで自分は場面緘黙の後遺症に
悩まされなければならないのか?」
「場面緘黙という症状が早く解明されて
はっきりとした治療法なり改善法なりが
見つかればいいのに!
そうでなければいつまでも自分は
このネガティブな思いから逃れることはできない
この生きにくさから解放されることはない」

と、場面緘黙の正体を知りたい
あるいは誰かに突き止めてほしい
と考えていました。

何か、人間関係でうまくいかないことがあるたび
コミュニケーション下手が露わになるたび
自分を責めたり
恥ずかしさで声をあげたくなったり
その出来事をいつまでも心の中で反芻してしまって
暗い気分を引きずりながら

「結局、自分は場面緘黙だったからダメなんだ。
いつまでたっても、年だけくった大人で
大人らしい対応がまるでできないのも
人にも一人前に扱ってもらえないのも
誰からも好かれないのも
自分が場面緘黙だったからだ
なんでこんな風に生まれついてしまったんだろう?
もう、早く死んでこんな思いから解放されたい・・・」

そんな思いに囚われてしまっていました。

場面緘黙の後遺症に悩むアナタも
そのようなことはなかったでしょうか?

短大を卒業し、就職し、結婚し、子育てし
パート勤め、義母の介護・・・
歳を重ね、色々と状況が変わる中で
あたふたとしているうち
次第にその思いに囚われることも
減ってはきましたが
やはり時々人間関係でつまずいた時
生きづらさを感じる時
「場面緘黙」のまま形成された人格に
自分は死ぬまで支配されねばならないのかと
鬱々とした気分になることがありました。

「場面緘黙は大人になれば治る」

というネット記事もありましたが
何をもってして「治る」と言われるのか・・・

ただ単に
「仕事の話」
「必要最低限の会話」
「事務的な受け答え」
というなら私もできますが
この昔から続く「生きづらさ」は
いつまでも自分の中にこびりついているのに・・・


考えた果ての
私の「場面緘黙」は

そもそも自分の持って生まれた
ネガティブな部分が
環境・育てられ方によって増幅し
それが他人に対する警戒心や不信感を呼び
それと同時に他人に対して服従することや
従順になることを求められていると
無意識に信じ込み
それに対しての自分の感情が
無意識に拒否反応を起こすという
内面の三すくみのような状態が
しゃべれない・他人と関わることができないという
外面の状態に表れてしまうのではないかとか・・・

まぁ、人それぞれ思うことは違いましょうが
私の場合はこんなカンジなのではと思っています。


さて、現在の私ですが

これまで何度も記してきたように
私は、今年は自分の考えを180度変えるよう
生活しています。

そこで、私の「場面緘黙」についての
拘りも変えようとしています。


理屈や原因を探ることに縛られるのはもういいか、と。
ひとりであれこれと考えたり
ネット検索して知識だけを増やすのは
ひとまず いいかな、と。

かなり頭でっかちになっている私にあと必要なのは
実際に自分がどうしたらこの思いから解放されるのか
ということ。

後は結局

まず、とにかく、人と接してみて
体験をしてみて、経験を積んでみて
その中で考えてみる。感じてみる。

いまの自分に必要なのは、
それだと思っています。

(イメージ画を描いてみたけど・・・)
↓↓
200409
(わかりにくいわね・・・ゴメン・・・)

そんなこと、多分
「元場面緘黙の大人の人たち」は
わかり過ぎるくらい
わかっていることですよね・・・

「何度も思い切って」人と接する環境に
飛び込んでいって、そのたびに
「やっぱり自分はダメだ」と
その場から撤退してしまう・・・
撤退しないまでも
また定着してしまう「居づらさ」のパターンに
失望しながら諦めて
悶々としながら日々を過ごす・・・
そんなことの繰り返しだったのでは・・・?
私もそうです。

けれども、今回はいつもと違う
前向きな何かが自分の中にあるのを感じます。
「自分は変わってきているな」と
そのように思える
「時期」が、50代のいま
自分にもやって来たのだと感じているのです。

・・・長くなってしまったので一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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2020年3月27日 (金)

母親についても。

以前、中途半端で終わっていた記事
「母親たるもの」ですが

「何故自分は母親について
好意的な感情がないのか?」
(親にそんな感情を持てない私は
親不孝な罰当たりなのか!?
それは私のせいなのか、母のせいなのか!?)

という自問を解決するため
「自分の母親はそもそもどういう人であるのか?」
ということを深堀りしてみよう、
自分が納得するまで、と。
そして好意的な感情が持てない自分を受け入れよう。
(そうすることで、自分が場面緘黙になった
原因の一端にも触れることができるかも?)
と思ったことから記していたものですが

前回の記事で
人には白い部分も黒い部分も
グレーの部分もあるのだ
その出方は様々だけれど
それがその人なりであるのだと気づき

自分がその人について
白か黒のどちらかなんて
決めつけることはできないこと
そしてその人のことを
好きか嫌いかの二択ではなく
好きな部分もあり
嫌いな部分もあっていいんだと
更にいえば
白だから好きにならなければいけない
黒だから嫌わなければいけない
なんてことでもないんだと
気付いたことで

母のことも
もう、わざわざ深堀りする必要はないか
と考えなおしました。


確かに私は母に
好意的な感情を持っていませんでした。
けれども、それは若い頃の私。
「場面緘黙」に囚われていた頃の私。
私の辛い思いに親として気づかないばかりか
自分は正しいということを疑わず
自分を犠牲にして子供を一人前にしたという
自負が見え隠れすることへの嫌悪感を
いつまでも引きずり続けていたのだろうと思います。

けれども、それは母の一面に過ぎなくて
そして、
私の母に対する感情の一部に過ぎないのです。

今、あらためて考えてみると
私の母に対する感情は
そりゃ、良い感情ばかりではないですが
ちゃんと感謝する気持ちもあり
(”感謝しなければ”ではなく、
ちゃんとした”感謝”です)
こういう部分はいいよな、とか
こういうところは尊敬するわ、とか
素直に思える自分がいるのです。

ひとりの人の中にも
色んな面があるのだから
ひとりの人に対する感情は
一つでなければいけないわけじゃない。

だから
親に100%好意的な感情を持てない子供は
親不孝な罰当たり
・・・というわけじゃないんだ。

全ての感情を許していいんだ。
自分のも人のものも。

逆に母も私のことを
好きになれない部分もあったかもしれない。
いけ好かないとか、鼻につく、
嫌いな部分もあったでしょう。
でも、
そこだけに感づいて傷ついてしまわないでいい。
私の「良い」と
思ってくれた部分もあったはず。
私のためにしてくれたことも確かにあった。
なにより
自分の産んだ子供達を一人前にする
という責任感を持って
育ててくれたのでね。
それは、当然のことではなく
すごいこと、尊敬すべきことだと思うんですよ。
感謝だよなぁ・・・と。


さて、そんなわけで今の自分は
現在80半ばの両親が
近い将来介護が必要になった時
依頼があれば、シモの世話をしに行くことも
別に抵抗なくできるであろう、と思うので
トータルすれば
両親に対して
好意的な感情の割合が高いのだろうと思います。

自分が長年抱えてきた母に対するモヤモヤは
これにて解決としたいと思います。

200327

長々と記しましたが
なかなかわかりやすくお伝えすることが
難しい・・・
なんかちょっとよくわかんない文章でしたかね
でも最後までお読みくださったアナタにありがとうを・・・
それでは、また。


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2020年3月24日 (火)

白であり黒でありグレーであるパンダのように。

あのね、朝の情報番組「ZIP!」の
2月からやってる新コーナーで
「星星のベラベラENGLISH」
っていうのがあるんだけど
それに「星星」ってパンダのキャラクターが
出てくるのよ。
その「星星」
もちろん着ぐるみではあるんだけど
とってもリアルパンダで
初めて見たとき私ちょっとびっくりしたのね。

何がリアルかっていうと
パンダって普通、
毛の色が白と黒だけで表現されるけど
「星星」はちゃんと
胸から腹のあたりの白毛が
汚れたような色なのよ。
グレー・・・ってか茶色っぽいってか。
本物のパンダの画像を見ても
なるほど下半身とか腹とか、
白毛が薄汚れてる部分があるのよね。
あれは、個々のパンダが
もともとそういう色なのか
それとも活動するうちに汚れてくるのか
わからないけれど
そこらへんまでリアルに再現させるのが
すごいと感心したのよね。

それで、気が付いたことがあるんだけど

人間の内面にしても
白と黒だけじゃないわよね・・・
自分はこれまでそんな当たり前のことにも
当たり前すぎる故に
頭では、ちゃんと知ってる気になって
気持ち的には、
実は全然わかってなかったんじゃないかって。


そして、
自分がその人の黒っぽい部分だけを見てても
その人自身、全部が黒いわけじゃないし
白っぽい部分だけを見てても
その人の全身が真っ白だと
決めつけられるわけじゃない・・・と。

ちょっと離れて見ると、
ひとりの人の中に
黒い部分や白い部分、グレーの部分
色んな出方があってのその人なりなんだ
ということがわかったりして・・・

自分がこれまでいかに単純に
人を白か黒かで判断しようとし
好きか嫌いかを決定づけようとしていたことかと
気付いたんですよね・・・

200324

長くなりそうなので
一旦ここまでで。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


あっ、今回のタイトルもじりは
ドラマ
「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。」
はじめて聞いたとき、
面白いタイトルだと思ったのよ~
でもドラマは観てないのよねぇ・・・
いや、今期は何のドラマも観てなかったわ。
その余裕がなくて・・・


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2020年3月18日 (水)

これで安心!!

ようこそ、いらっしゃいませ。
今回は、気分が晴れやかになった出来事を。

実は、ずっと前から心に引っ掛かっていたことを
とうとう解決することができたんですよ!
それは何かというと・・・

結婚前に書いていた
20数冊の日記をついに処分したのです!!

20代の頃の・・・
OL時代~ダンナと結婚する前の
5~6年分くらいの日記かなぁ
結婚する時、
実家に置いておくわけにもいかないから
こちらに持ってきてて
それから30年近く、ずっとクローゼットの中に
入れっぱなしになってたんだけど
もう、心の隅にずっと引っ掛かってたのよね。

「もし、私が死んだら
これ家族に読まれちゃうの!?」

って。

遺言書に書いておくべきかしら?
「読まずに捨てて」って
あるいは「私の棺桶に入れて」って

いやいや、
そんな面倒なことを頼むわけには・・・
それじゃ、もう自分で処分するか?
あぁ、でも年取った時に
思い出に浸る時、読んだりするかも?
それか、「場面緘黙」だった頃の
自分の気持ちを振り返る時に
必要になることがあるかも!?
なにより、20代の頃の悩みながらも
それでも生きて来た私の証を
捨ててしまえない未練があぁぁ・・・

・・・なんて考えて結局ずっと
ほったらかしのままだったんだけど・・・

最近、ついに

もうね!過去はいいのよ!
私はこれから
未来を見て生きていくのでね!

これまでの生き方を180度変えて
生きるのでね!

そう考えたら、
様々なマイナス思考で
表現された文章の詰まった過去の日記は
そこにあるだけで
何か鬱々とした空気が滲み出ていそうで
いまの私の前向きになろうとする気持ちに
負の影響を与えられそうで

そうね!
もうお別れする時だわね!


と、決断できたのです。

そうなるともう早いもので
押し入れから10年くらい前に買った
シュレッダーを引っ張り出し
クローゼットから紐で括っていた
A4サイズの無地ノートの束を取り出すと
読み返すこともせず
ビリビリと破りながら
シュレッダーに
ガーガーとかけていきましたよ!

なんともあっけないもので
正味2時間くらいで私の5~6年分の過去は
散り散りのゴミくずとなりました。

終わってみると、私の気分は

あぁ!さっぱりした!
これでいつ死んでも安心だわ。


晴れ晴れとした気分で
これから前向きに生きていけそうです。

200316


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・・・読み返すことはしなかったけど
シュレッダーにかけてる最中
やっぱりチラ読みくらいはしちゃうじゃない!?
それだけでもなんかすんごい恥ずかしいことが
書いてあるってわかって
「うわわわわ(;゚Д゚)!!」ってなったわ。
あれが家族の者らに見られたら・・・
いやぁ、粉砕して正解だったわと
あらためて胸をなでおろしています・・・


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2020年3月12日 (木)

30年後・介護施設での生き方。

ようこそ、いらっしゃいませ。

今回は、介護施設で働くようになって
思うことをまたたらたらと・・・。

よろしければお付き合いを・・・



「介護施設の高齢者ってこんな人達なのね・・・」

現場で働くことが初めての私は
日々、いろんなことを学ばせてもらったり
気付かせてもらったりしてるんだけど
周囲を見回す心の余裕が
ちょっとだけ出てきて
そんないま、思うことは

他の施設のことはわからないけど
いまの職場で見る限り

「施設で過ごす高齢者の人たちって
なんて恵まれてるんだろう!」

ってこと。

三度三度の食事は、おいしいもの
ちゃんと出るし
3時にはお茶とお菓子が出るし
ちゃんと個室がある!
シモの世話から薬の管理
部屋の温度・湿度の管理
怪我をしないよう神経を張り
持病のある人の対応にも気を配る
なにからなにまでこちらでやるから
利用者さんたちにとっては
天国のようなもんじゃない?

それは、
(高いとは言えない)お給料が発生するとはいえ
スタッフの人たちが
利用者さんファーストで奉仕の精神で
勤めているから
成り立ってると言えることなんだけど。

・・・なのにねぇ・・・

肝心の利用者さん達が
その恵まれていることに
気付いてないことがね
ご本人たちにとっても
残念というかね・・・

基本的な生活・・・
食事や排泄・風呂それ以外の
せっかくの自由な時間を、
ただ持て余しているような


ただぼーっとテレビを眺めているだけの人。
「やることがないからしょうがない」
みたいな感じでこちらが提案する
塗り絵や、計算問題をただやる人。
ただただ帰宅願望が強く
自由な時間をゴネまくり
いくらなだめてもわからない人。
「自分は辛い・苦しい。
でも誰もわかってくれない
何もしてくれない。」
などと、被害者意識に凝り固まって
ふさぎ込む人、等々・・・
色んなタイプの人を見る中で強く思うことは

・・・30年後の自分は、
こんな風になってはいけない・・・

ということ。

いや、いまの高齢者の方々も
こんな風になってしまうのは
仕方がないことかもしれません。

話を聞いてると、ずいぶんと昔は
ご苦労された方々ばかりなのよ。
戦中・戦後の厳しい中を、
子供ながらに家のために
親のために手伝いしたり、
働いたりがあたりまえ
親に厳しいこと言われるのもあたりまえ
自分を犠牲にするのがあたりまえみたいな感覚
結婚してからも、ダンナに尽くして、
舅姑に尽くして
子供達を皆、立派に育て上げた自負もあるけど
自己犠牲以外の生き方がわからないような。
そこまでやってきたんだから
自分はずっと慣れ親しんだ家で、
子供夫婦の世話をうけるのは当然と思い
自分が家で家族の世話をしなければ
家が回らなくなると思い込んでいたり・・・

それなのに、本人たちにとっては突然
「こんなところ」に入れられてしまった・・・と。
そもそも認知症があるから、
キチンと理解できないのは仕方ないんだろうけど
ショックな人やら、諦める人やら、
攻撃的になる人やら、嘆く人やら、
不平不満ばかりの人やら
まぁホントに様々で・・・


でもさ、私らの年代になると
もう、子供達に老後の面倒を見てもらおうなんて
アテにしてる人って少なくなってるじゃない?
だから私、30年後はこういう施設に
自ら選んで入っているかもな
と想像したけど
だとしたら、なるべくスタッフの人たちに
好印象持たれるような高齢者になろうと思うわ。
お世話をかけるのは仕方がないとして
「自分は恵まれている」と
日々感謝できる人間でありたいと。
あと、自分ひとりで集中してできる
趣味か生きがいを持って施設に行こうと思うのよ。
もしかして、その時に
また新たに
「80過ぎて
ホントに漫画を描く意欲が出て来たわ!」
・・・ってなるかもしれないわ。

200312

50代・60代のための
「介護施設で生活するための心得講座」
「介護施設でもできる趣味講座」
みたいなものがないかしら。
いまから心の準備も趣味の準備もしておくべきかもね。

なんてぇことをふと考えたりしましたよ。
お読みくださりありがとう。
それでは、また。


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